2002年01月

002年1月1日 指揮者が替わって味が変わった?
三年ぶりくらいかな? 本当に久しぶりにデニーズへ行ってみた。ある時期から麒麟のラガーを置いてくれなくなったので、行かなくなったのだ。もちろんいつ もいつもビールを飲むと言うわけではないので、麒麟のラガーでなくても良いのだが・・・。しかし嫌いな銘柄に替わったと言うことは料理の味までもが嫌いな ビールに合わされているのではないかと余計な気を回したりする。

久しぶりに行ったからか、料理の味が実際に変わったのか、自分の味覚が変わったのか? 以前と同じものを食べてもまるで違うものを食べているような感じ だった。もっともこう言ったフランチャイズとか、チェーン店というのは同じ系列でも違う店に行くとまるで味が違うことがあるからなんとも言えない。いや同 じ店でも日によって時間によって調理している人が違うからだろうが、まるで味が違うことがある。本来なら、同じ店でありながら味が違うなんてのは困ったも んだが、やはり作る人次第と言うことか。

いや、もっと困った店もある。あたしの行き付けの店でのことだが、店主がバンドをやっているために、時々ライブで留守にする時、店を人に任せることがある のだ。ところが、頼まれて来た人の作るものが、名前だけが同じと言うだけの似ても似つかぬものであったりして戸惑うことがあるのだ。いや確かに使われてい る材料は同じものだったのだが。

今日のニューイヤーコンサートは小沢征爾(こんな字だっけか?)の指揮。日本人では始めてのことだそうだ。相変わらずパソコンに向かいながら聞いていたの だが、どうも変だ。あたしの例えはいつも下品なのだが、そのあたし流に表現すると、本来のウィーン・フィルのウィンナ・ワルツは色気たっぷりで脂の乗り 切った女のねっとりした流し目と言う感じなのだ。ところが小沢のウィンナ・ワルツは色気がつき始めた若い娘が、上目遣いに好きな男の目を覗き込んでいると いった感じか? 最近そんな目で見られることはなくなったけどね。それは置いといて、リズムをきっちり切ってくるのでメリハリが付き過ぎているように感じ たのだ。いや、曲によってはスポーツ選手のような躍動感のある体躯を想像してしまうこともあった。それはそれで美しいのだが、やはり女の色気は脂が乗って なくては・・。あたしの好みで言うと、細かい筋が浮いて見えるような体より、そう言った細かい凹凸が隠された滑らかな体の方が色気を感じるのだ。

ウィーン・フィルは新しい指揮者が来ても、新しいスタイルを受け入れることのないオーケストラと言われてきた。指揮者がどんなに新しいスタイルに変えよう としても頑として撥ね付けることで有名だったのだ。それなのになぜか今年のスタイルは去年までとは違って感じられたのだ。あたしの感覚がずれていたのかも しれないが・・・。やはりあたしの好みとしてはウィリー・ボスコフスキーかなぁ。

2002年1月2日 寮での越冬
元旦は開いている店が少ない。昔と違ってファミレスなど、年中無休の店が出てきたのでさほど食事には苦労はしないのだが。30年近く前のこと、某社で普通 のサラリーマンをしていた頃なのだが、正月に帰省するのが面倒になって、寮で越冬したことがあった。越冬と言う言葉はちょっと大げさに聞こえるかもしれな い。先輩の寮生に「本気で寮で越冬するつもりか?」と言われたときには冗談だと思っていた。しかしその当時には確かに大変なことだった。

寮では皆が帰省するので、休み中の食事はない。では、外食か? しかし、早い店は30日くらいから休みに入り、三が日は開かないのだ。当時のことだから、 コンビニもファミレスもない。寮にはガスなどはない。厨房にあるだけだ。自炊しようにも電気しか使えないのだ。この電気がまた面倒で、天井の電灯をつけて オーディオを使って電気スタンドを使えば一杯一杯と言う所。だから電気ポットなどを使うとすぐにブレーカーが飛ぶ。とは言うものの、隣接するいくつかの部 屋が留守ならばポットくらいは使えるようになるのだ。つまり一つのブレーカーでいくつかの部屋へ電気を供給しているからなのだが、正月休で皆が帰省してい るときにはその分を一人で使えると言うことなのだ。

とりあえず、年内ならば食べる店はまだあるはずだ。蕎麦屋が早くから休んでいたのでは年越しそばが食えない。だから年末まではやってるはずだ。ちょっと高 くつくかもしれないが、3日くらいからは寿司屋だってやってるだろう。そうだ、2日は課長の家へ同僚と年始に行けばいい。元旦は行き付けのスナックの常連 が集まって初詣に行くことにしていたっけ。初詣に行けば参道には食堂だって有るだろう。これでなんとか一日に一食分は確保できそうだ。寮はがらがらになっ ているからポットでお湯を沸かすくらいのことは出来る。カップヌードルが発売されたばかりの頃で、まだ食べたことは無かったのだが、これを大量に買いこん でおくことにした。正月が過ぎた後でも夜食に出来るし・・・。4日からはほぼ正常に戻るだろうから、それまでの辛抱だ・・・。

なるほど「越冬」だなぁ、と実感したものだ。それっきり寮で越冬することは止めにした。別に寂しかったとか、侘しかったとか言うわけではない。そりゃ確か に、廊下の両側に4畳程度の部屋がずらーっと並んでいる鉄筋の5階建ての寮が三棟くらい建っているのに、その中に残ってる寮生が数名と言うのは不気味では 合ったのだが。

2002年1月3日 名古屋は大雪
名古屋では10cmも雪が積もると大雪なのだ。これが地域によっては大雪の基準も違うらしい。1m以上積もって大雪と言う所も有るし、50cmで大雪と言 う所も有る。どれだけ影響を受けるかと言う点で違うらしい。年に2〜3回しか降らない所では10cm積もっただけで大きな影響を受けるので、それだけで大 雪と言うことになるらしい。

NHKのニュースを聞いていたら、お決まりの言葉が聞こえてきた。大雪で新幹線の到着が遅れ、新幹線の車内で泊まることになった人の話だ。「雪が降ること は分かっていたはずなのだから、ちゃんと対策しておいて欲しかった。明日の朝から仕事なのに間に合わない」なんて言う毎度お決まりの言葉だ。もしあたしが インタビューアだったら「それが分かっていたのなら、なぜ一日早く帰らなかったんですか?」と聞き返してやりたいね。時間ぎりぎりまで飲み屋で遊んでい て、終電に間に合わなかったとタクシーに文句を言う酔客と同じレベルだ。

数十年に一度の大雪、しかも一年のうちの限られた期間だけのために大掛かりな対策を施したとすればそのコストは当然運賃に反映されるわけだから、どちらが 得か考えてみれば分かるはずのことなのに。一年中、どんな気候であってもダイヤどおりに到着できるなら運賃が高くなるのもやむをえないと考えるか、あるい は、年に何回か到着時刻が遅れることは有っても、運賃が安い方が良いかと言うことだ。通勤を優先して、軽自動車を買うか? レジャーを優先して、大型ワゴ ンを買うか? 必要なときだけ、レンタカーを借りることで我慢するか、それとも通勤の不便さを我慢するか? と言うことだ。

ただ、このアナウンサーがその人の言葉をそのとおり伝えたのかどうかはあたしには分からない。もちろんアナウンサーは読むだけだろうから、そのニュース原 稿を書いた人が、その人の言葉をそのとおりに書いたのかな?と言うことなのだが・・。以前にも似たようなことを書いたが、言葉の順序を変えるだけで、内容 的には同じことであっても伝わり方を変えることが出来るのだ。
「仕方がないと諦めつつも不満を漏らしていた」
「不満を漏らしながらも仕方がないと諦めた様子だった」
このように言葉の順序を変えるだけで、その言葉を聞いた人間の受け取り方、感じ方をコントロールすることが出来るのだ。いやコントロールするつもりがなく ても、記事に自分の感情をかぶせることが可能なのだ。

昨年東京を台風が襲った時のニュースのアナウンサーの言葉で気になったことがある。これはあたしが実際に聞いたわけではないのだが(地域が違うので)数カ 所の掲示板で同じような書きこみがあったので本当のことだろうと思う。どんなことかと言うと「電車もバスも動いていない、こういうときにこそタクシーに乗 りたいと思うのに、そんなときに限ってタクシーが動いていない」と言う内容のことを喋ったらしいのだ。冗談じゃぁない。バスや電車でさえ止まったのに、そ れより小さなタクシーが動けるはずがないじゃぁないか。いや、実際にはタクシー会社が運行指令を出して全車に入庫を指示しているはずだ。こういうことを言 うタイプの人は、仮に動いているタクシーに乗れたとしても、水をかぶってエンジンが止まり、大きな水溜りの中で動けなくなったとしたら、また文句を言うだ ろう。タクシーはあくまでも運送業だ。サービス業だと思っている人が多いようだが、それは業務の中のほんの一部分のことだ。いかに安全に送り届けるかと言 うことが本分だから、決して無理はしないのだ。

一昨年の東海豪雨の時にはあたしは深夜2時頃まで仕事をした。気をつけるべきところが分かっているから、無理をしない範囲で仕事をしたのだ。その代わり、 無理だと言う所ははっきり理由を説明して、行けるところまでしか行かないようにした。迂回できる場合は、迂回の了解を得て仕事をした。しかし、台風のよう に雨や水だけではない場合、また今日のような雪の場合は仕事をしないことにしている。風でなにが飛んでくるか分からないし、雪に慣れない車が突っ込んでく る可能性が有るからだ。

こういうことも分かっていないような奴が、テレビやラジオで偉そうなことを言うと、馬鹿な視聴者がそれをそのままの受け売りでタクシーの運転手にぶつける から始末が悪い。上っ面だけのことしか知らないくせに、いかにも「お客の味方」みたいな態度で勝手な事は喋って欲しくないね。

2002年1月4日 なぜ嫌われるのだろう
今、朝の5時を回った所。小原孝の「弾き語りフォーユー」が始まった所なのだが、いきなり「愛情物語」のテーマ、トゥ・ラブ・アゲインが流れてきた。今週 は正月特集と言うことで、朝のこの時間だけの放送らしい。本来なら前日の11時半に本放送が有って、この時間は再放送なのだが・・。で、今週は有名な曲を 流しておいて、その後で彼がそれを弾いて見せる。弾き比べするほどの技量もないくせに、カルメン・キャバレロと張り合うとは・・なんて身の程知らず な・・・と思いながらも聞いている。でも、ただの「ノクターン」みたいな・・・。

さて表題の件なのだが、なぜタクシーの運転手はこうも嫌われているのだろう。特に2チャンネルなどのタクシー関係の掲示板では糞味噌に言われている。死ね とか逝って良しなんてのはまだましな方で、タクシーの運転手は殺しても罪にならないとか。どんなに就職難であっても、タクシーの運転手だけにはならないと か、タクシーの運転手になるくらいなら死ぬと言うものまでいる。こんな糞味噌に書く連中は仮に運転手になっても勤まるわけがないから運転手になんかなりた くないと言うのは有りがたいことだ。それにそんな連中は死んでくれた方がよほど有りがたい。おまけに運転手までがそれに合わせてぼやいてる。仕事中に休憩 しようと家に寄ったら「お願いだから営業車で家へ帰って来ないで」と家人に言われたとか。

あたしが以前勤めていた会社で、本社勤務だった頃は出張の多い仕事だった。それも予定のない緊急の出張と言うのが多かった。神奈川県の北の方だったから、 さほど便が良いとは言えない。会社と最寄のJR(国鉄)の駅との間には連絡用の会社のバスが運行していたが、それでは間に合わないという場合はすぐにタク シーだ。もちろん出張先へ行けば、地理も交通手段も分からないような所だからタクシーを利用する。何度か転勤もしたがその転勤先では通勤以外、遊びに出る 時にはほとんどバスかタクシーで、帰りはタクシーだった。土・日曜日は遊びに行っていたから、タクシーを良く利用する口だったろうと思うが、タクシーの運 転手を馬鹿にしたこともないし、タクシーで不愉快な思いもしたことがなかった。別に話し掛けてくれなくても、気にもしなかった。どちらかと言えば、あたし の場合はむしろ放っといてくれた方が有りがたかったのだが。

あたしの周囲にもタクシーや、運転手を悪く言う人間はいなかったし、客だからと、偉そうにするものもいなかった。だからあたしにとってタクシーと言うのは 数ある職業のうちの一つで、子供の頃からの憧れの仕事の一つだったのだ。転勤や出張の多かったその会社を辞める時は既にタクシーの運転手になるつもりでい たのだ。ただ、辞めて名古屋へ戻ってきた時にはまだやってみたい仕事がいくつかあったので、それを経験してからと決めていた。タクシー会社に就職する前に 腰掛気分で勤めていた時に一回タクシーの運転手に文句を言われたことが有った。運転手から文句を言われたのはこのときが初めてだったが、別に気にもしな かった。料金からすると千数百円だったかな。運転手が頭に来てビュンビュン飛ばしてくれたので、助かった。遅刻しそうだったのだが間に合ったのだ。 17〜8年前の話だ。

考えて見ると、あたしにしても、あたしの周囲の人間にしても、タクシーを良く使うほうだったろうと思う。むしろタクシーがないと困る立場だったわけだ。出 張に行ってタクシーがなかったら・・地図を買いこんで、バスの路線図を探して・・・。考えただけで頭が痛くなる。ましてあたしのように緊急の出張が多い と、前もって資料等の必要なものを送っておくなんてことが出来ないから、カバンは重いし・・・。だから、タクシーなんてこの世に存在しない方がいいなんて 言えない立場だったわけだ。

2チャンネルの掲示板を読みながらそんなことを考えているうちに、この糞味噌に書く連中と言うのは普段タクシーに乗ったことのない連中ではないかと思えて 来た。普段からタクシーを便利に利用していたら、余り細かいことは気にしなくなるものだ。地域にもよるが、無愛想な連中もいるし、うるさいくらい話し掛け てくる連中もいる。タクシーなんてそんなもんだと思ってしまえば気にもならないのだ。ラーメン屋の親父だって愛想の良い奴もいれば無愛想で無口な奴だって いるが、その都度文句を言ったりはしないからね。で、昨日の日記でも書いたが、タクシーをサービス業と思いこんでいる連中は話し掛けないとうるさい。「無 愛想だ」「態度が悪い」と文句を言う。ところがこういった連中は大体が普段タクシーに乗らずに歩いていってしまう連中なのだ。つまり普段滅多に乗らない が、せめて乗ったときには「神様」として扱ってもらえると過大な期待をしている連中なのだ。・・とあたしは思う。

そして、2チャンネルの掲示板に書いてる連中はきっと下の方でもぞもぞと蠢いている連中ではないだろうか。有る程度上に立つ人間は下の(と自分が蔑んでい る)ものを相手にはしないものだ。自分より下と蔑んでいながら、いびるのは、自分の今の状態に不満がありながらそのはけ口を見つけ出せずにいるからに違い ない。上へ上がりたいのに上がることが出来ない。せめて下の(と自分が決めて掛かっている)ものを見て、自分がそれよりは上にいるのだと安心したいだけな のだろう。どんどん上へ上がっていく人間は下の方は見ていない。常に上を向いているから。で、そういった上を見ている連中は自分以下の人間をいびることは 自分自身をそのレベルに落とすことになるとわきまえているので腹の中でどう思っていても、下のものをいびるなんて事はしない。もちろん会社の中での上司と 部下の関係であれば話はまた別だがね。

2002年1月5日 死者が生き返る?
あたしのホームページには、事故死者数の推移をグラフで表示しているページがある。別に真剣に事故死者が多いと憂えているわけではない。他のページが余り におふざけなので、少しはまじめな振りをしようと言うだけのことだ。つまりゼスチャーと言うわけだ。もちろん仕事柄、明日はわが身と言う心配がないわけで はないが。

このデータは警察庁のホームページから頂いてくる。毎月初めに覗きに行ってデータを頂いてくるのだ。これの上位の10件程度を手元の表に移しておくのだ が、その都度月の死者数と1月からの累計類型を確認している。ところが、毎月累計を確認しているのに、新しいデータを頂いてくるとその数値が変化している ことがある。前月の累計はその時点では合っていたのに、当月のデータを加えると累計が違っていたりすることがあるのだ。これが増えたと言うのであれば、危 篤状態の人が亡くなったのかなと思うだけのことだ。ところが今回のデータでは、何箇所かの累計が減っていたのだ。まさか生き返ったと言うわけではないだろ うと思うのだが、不思議だ。遡って調べれば分かるのかもしれないが、面倒だからやめにして累計の数字を変更するだけにとどめた。

例えば、県境の事故でその管轄が変わったとか言うのであれば、隣接する県などの累計が増えてもよさそうなものだが、それもないのだ。この他に考えられるこ とは何だろう。死んだと思っていたら実は生きていた? 死亡の確認は医者がするんだから間違いはないだろうし。 では、交通事故だと思っていたのだが、実 際には交通事故ではなかった? 当事者が立ち会って実況検分をするだろうし、それはないだろう。いや? 轢き逃げ事故だと思っていたら、電柱から落ちた事 故だったなんてことがあったのかもしれない。 無事に病院へ搬送されていれば死ぬことはなかったはずなのに、救急車で搬送中に救急隊員の間違った手当てで 死んだなんこともあったかもしれない。事故死だと思っていたら、実際の原因は手当てをした人の過失だったなんてのは数字を修正するだろうからね。ニュース で聞いたことだが、搬送中に医者からの無線の指示に従って、本来はしてはならない医療行為をして死なせてしまったことがあったらしい。 あるいは事故の発 生時刻の確認をしたら死亡時刻より24時間以上前だったなんてこともあるかもしれない。

事故死者の統計に表れる数字はあくまでも事故から24時間以内に死亡した場合のみだ。だから25時間後に死亡した場合、事故が原因で死んだとしても事故死 者の数には入らないことになる。欧米では国にもよるが三日以内に死んだ人までが事故死者数として扱われると言う話を聞いたこともある。この話は以前にも書 いたことがあるような記憶が・・・。ま、いいか。調べるのが面倒だ。ところで、その以前の記事で、北海道の原野とか、断崖から谷底へ落ちたとか言うような 事故の場合発見が遅れることがあるなんて書いた覚えがある。今のように技術が発達している時代、緊急信号を発信する機械なんてのは出来ないものだろうか。 料金所で停まらずに通過出来る機械のある時代なのだから、可能ではないだろうか。例えばエンジンキーがONの状態でエンジンが止まったら、その状態で30 分経過したら自動的に緊急信号を発信するとか。また身動きは出来ないが、エンジンをOFFにすることが出来るような状態なら緊急信号を発信するスィッチを 自分でONにするとか。さらにGPSと連動して位置情報まで送信できればさらに良い。これがあれば駐車場の車の中に放置された子供が、蒸し焼きにされる事 故も防げそうな気がする。エンジンを掛けてクーラーを掛けといたのに、何時の間にかエンジンが止まってた・・なんて言う言い訳は通用しなくなるわけだ。自 動車メーカーだって馬鹿じゃないから既に開発しているかな?

2002年1月6日 ちょっと微笑むだけで・・
最近良く行くようになった中華ファミレスのウェイトレス。土曜日に行った時には久しぶりに居たのだが、ちょっと顔を崩してくれた。いつもだとなんか文句を 言われそうな顔をしているのだ。なにか良いことでもあったのだろうか。

あたしはいつも禁煙席に座るのだ。入っていくとウェイトレスが飛んで来るから、指を一本突っ立てて「一人」と言う。そして「禁煙」とね。すると奥を指しな がら「メニューの置いてあるお好きな席へどうぞ」と言うわけだ。ある時、この店に行き始めて三回目だったか、あるいは四回目だったかもしれない。誰も出て こないので、勝手に「お好きな席」を選んで座ってメニューを見ていたら、注文を取りに来た。この時、機嫌が悪かったのか、いつもそう言う顔なのか、ブ スーっと怒っているような顔でにらまれてしまったのだ。勝手に席に座ってしまったのが悪かったかな? だけどお客が入り口に立ってて、チャイムがピンポ ン、ピンポンと鳴ってるのに出てこない方が悪いんじゃぁ無いの? なんて思ったけどね。

この子はちょっと太めなのかもしれない。最近の女の子の中に混じっていればきっとデブの分類に入るだろう。だけど、あたしが育った時代であればグラマーと 言われることはあってもデブと言われることは無かっただろうと思う。出る所はちゃんと出ているし、引っ込む所はちゃんと引っ込んでいるのだ。つまり尻も胸 もちゃんと出ているのだが、ウェストはちゃんとしまっている。足首もきゅっとしまっている。しかし、脹脛はかなり太めだ。とは言え、あたしの基準からする とちゃんと許容値の中に入っている。顔だって10人並以上だと思っていたのだが、あたしに対してはにこりともしなかったのだ。いや他の人に対しても余り愛 想のいい方とは言えなかったような気がする。その子がにこっとしたのだ。

もしかすると上司に言われたのかもしれない。あるいは、自分でも新たな年を迎えて少しでも愛想良くしようと努力することにしたのかも知れない。今までも、 ブスだとは思わなかったが、ちょっとにっこりするだけで途端にいい女に見えてくる。昔から「男は度胸、女は愛嬌」と言うが、本当にブスでも愛嬌があると可 愛いと思えるものだ。10人並以上の器量で愛嬌がプラスされれば誰でも放っては置かなくなるだろうと思うんだけどね。 え? そりゃあたしだって若ければ 1番に名乗りをあげるよ。

2002年1月7日 明日から仕事〜?
って、別に仕事がいやで嘆いていると言うわけではない。休み中にあれもしよう、これもしようと思っていたことの1/10も出来ていないので自分で驚いてい ると言うことなのだ。深夜の2時から朝までの時間帯は通常の時でもネットに繋いであちこちの掲示板を巡回し、自分の掲示板にレスをつけ、メールに返信を し、日記を書くと言うだけで終わってしまう。だから、実際に新しいことをする時間と言うのは夕方目が覚めた時間から2時までの間と言うことだ。仮に寝坊を して夕方の6時に目が覚めたとしても、8時間もある。途中で食事と買い物に1時間を使ったとしても残りは7時間。と言うことは29日から6日までの9日間 では63時間もあったはずなのに・・・。

こことは別のホームページのスタイルを一新し、さらに新しいコンテンツを一つ増やした。目に見えることはそれだけなのだ。テレビを見たのはウィーンフィル のニューイヤーコンサートだけだ。これはテレビが見たかったというより、FMと同時に付けておくことで、時々小沢の指揮振りをチラッと覗いたと言うだけの ことだ。あ、大晦日にはN響の「第九」を教育テレビで「聞いた」っけ。いずれにしても、目がテレビに奪われていたと言うわけではない。一体何をしていたの だろう。時間を持て余したということは無い。常に何かをしていたのだ。それなのに、成果が現れていない。

もちろん、時間はたっぷりあると言う気の緩みがあったことは確かだ。だからいつもと同じことをする時からすれば能率は悪かっただろうとは思うのだが。しか しね、勤め人だった頃からこの辺のことは変わっていないなぁと今つくづく思う。まとまった休みがあっても結局はいつも何もしていなかったのだ。昔だったら 定年と言うこの年になってもやってることは若い時と変わらない。進歩が無いんだなぁ。

2002年1月8日 困った年賀状
4日だったか? 5日だったか? 年賀状ももう来ないだろうと言うような時期になって数枚が届いた。そのうちの一枚なのだが、差出人に見覚えが無い。宛名 はあたし宛だから間違い無いのだ。住所も合っている。親が他界した際に親の関係者には挨拶しておいたので、翌年からは既に居ない親宛に来る年賀状は無く なった。もちろん親戚は喪が明けた後は、ちゃんとあたし宛に送ってくれている。どう考えてもその差出人に覚えが無いのだ。

親戚や友人なら当然すぐに分かる。この他にはLPスタンドから来る。床屋からも来る。シートのカバーを注文した店、車の整備屋等からも来る。こういったと ころはちゃんと屋号が入っているから迷うことは無い。選挙が近づくと立候補予定者から来ることもあるが、こう言うのもすぐに分かる。政党名とか○○会と 言ったそれらしい名前が入っているものだ。ところがこの年賀状の差出人は、名前と住所しか書いていないのだ。

住所を見ると割合近い。いつも仕事をしている地下鉄の駅からなら、歩いて5分くらいだろうか。あたしの家からだと歩いて20分くらいだろう。一度でも会っ た事があれば、どこに住んでるか聞くだろうし、聞けば家が近いことが分かって忘れることは無いと思うのだが・・・。別にどこの誰でも良いのだが、放ってお いても良いものか、返事を出さなきゃまずいか、その判断がつかない。この差出人にも困ったものだ。裏の方にもまるで手がかりが無い。いや、文面を書くのだ から本来なら表と言うことになるのか? 官製の絵の入ったタイプで、「あけましておめでとうございます」と言う当たり前の挨拶のみが大きな文字で一面に書 かれている。これだけなのだ。 ん? 余談だが、郵便業務が民営化されたら「官製葉書」はなんと呼ぶようになるのだろう・・・

駅の待機場所で、前後に居る運転手仲間に聞いて見たが、最初は誰も分からなかった。夜の10時頃だったろうか。送客を終えて駅へ戻って来てひょいと前を見 ると、まだ聞いていなかった運転手が居たので車を降りて聞きに行ってみたのだが、そこでやっと分かった。いやまだ確実と言うわけではないので、分かったと は言えないのだが、どうもつい最近個人タクシーになったばかりの人らしいのだ。あたしの車にはいつもノートパソコンを積んでいる。それにインストールして ある地図でその住所を検索しておいたのだが、その場所には最近個人タクシーになったばかりの人が住んでいるらしいのだ。12月には組合の支部会が開かれな かったので、そう言った最近のことに関する連絡が遅れている。きっと今月の支部会で紹介されるだろう。しかし、人騒がせな奴だ。ちょっと一言コメントして おいてくれればこんなに悩まなくても済んだのに。きっと余った賀状を無駄にしたくなくて、全員には出せないから近い人だけにも(同じ組)出しておこうと言 うことだったに違いない。 あ〜ぁ、それでなくても暇だと疲れるのに、今日は疲れが増した一日だった。

2002年1月9日 技術屋は居ないの?
以前も書いたが、40才台以上の人が集まってコミュニケーションを図るための会員制のサイトがあった。それが今月一杯で、閉鎖になる。読むだけなら来月の 半ばまでは読めるらしいのだが・・。 ここでやっとインターネットになじめた人達が急に放り出されることになったため、難民となってさまよっている。この サイトを運営していた二つの会社のうちの一つが、それとは別に運営している会員制のサイトに流れた人もいる。もちろん、あたしのように以前からホームペー ジを持っていた人が掲示板を設置したりして受け入れたりしている例もある。

ある人が、別個に会員制のサイトを見つけた。隠しても「井戸端」を読んで居れば分かっちゃうな。jside.comと言う所だ。グループで登録しておく と、掲示板のほかにチャットも利用出来るらしい。別個のスレッドをグループのメンバーが勝手に開設することは出来ないが、レスの付けられる掲示板なので、 似たようなことは出来る。しかも掲示板を開いたときにはそれらのタイトルのみが一覧で表示されるタイプだから、読みたい部分を見つけるのも簡単だろう。 もっともあたしの余り好きではないタイプなのだが・・・。なぜ嫌いかと言うと、タイトル一覧から読みたい記事をクリックしても表示されるのは一つのメッ セージだけなのである。その都度タイトルから選んでクリックしなくてはならないのだ。そのたびに画面が白紙になって読み込みの間待たされる。じれったく なってくるのだ。あたしのように、未だ「ダイヤルアップ」接続の人間にとってはこれは余り行く気にならなくなる。

ここのシステムにはもう一つ問題点がある。ネットスケープでは掲示板やお知らせ等を読むことが出来ないのだ。メッセージの表示欄の左上隅に縦横三文字づつ くらいしか表示されない。ここ以外は真っ黒になってしまうのだ。あたしの場合、IEの5.5もインストールしているのだが、これを起動すれば読むことが出 来る。管理者にメールを送って、善処して欲しいと伝えたのだが「ネットスケープの6をインストールしてくれれば読める」と言う回答が来た。きっとネスケの 6を使ったことが無いのだろう。それに善処したくてもそれだけの技術が無いに違いない。ネスケの6はあたしも使ってはみたが、まだ使いづらいところが多く て今はまた外してしまった。今ネスケの4.73をメインに使っているのだ。

しかしねぇ、いくら無料とは言っても会員を集めてせっせとデータ集めに利用してるんだろうから、そのくらいの便宜を図ってくれても良いんじゃぁ無いだろう か。

2002年1月10日 危険運転致死傷で初逮捕
改正刑法が昨年の12月25日に施行されたのだが、その翌日に大事故を起こした馬鹿が昨日逮捕された。施行後初の逮捕者だそうだ。
http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20020109/eve_____sya_____011.shtml
このアドレスは中日新聞のその記事なのだが、まるでその刑法が施行されるのを待っていたみたいな奴だ。

上のアドレスの記事では書いていなかったが、赤信号で数台の車両が停止しているのに右折帯を使ってそれらの車の右側から交差点に進入したらしい(NHK第 一のニュース)。それもかなりのスピードだ。記事によると制限速度の倍近い速度だと言うから7〜80Km/hと言うことか? ニュースで聞いた時にはきっ と酔っ払いが深夜に起こした事故だろうと思っていたのだが、なんと朝の7時半頃のこと。こうなると正気とは思えない。

この名古屋へ戻って来て驚いたのは、こういうことをする連中がやたら多いと言うことだ。右折帯を使ってというのはまだましな方だ。右折帯の無い所で対向車 が来ているにもかかわらずセンターラインを跨いで先頭の前へ回り込むなんて言う光景を良く見る。今回の事故のようにそのままのスピードで赤信号の交差点へ 飛びこんだのは未だ見たことが無いが、先頭へ出て一旦停まった後、ずるずると進んで最後には赤信号の内に交差点を通過していくなんてのは良く見る光景だ。 この他にも、渋滞している所で、二筋くらい先の路地を右折するために対向車を蹴散らしながらセンターラインを超えて走っていく連中も多い。

この改正刑法で逮捕されると下手すれば15年はお勤めをしなくてはならなくなるらしい。ところが、これが見せしめとなって抑制効果があるか?と言うと疑問 だ。なぜならこんなことをする連中はニュースを聞いたり新聞を読んだりしないからだ。例えば、三月だったかな? 名古屋国際女子マラソンなんてのがあるの だが、これを知らない奴が多いのだ。このマラソンが行われるとあちこちで通行止めになり大渋滞となるのだが「今日は何があるんですか? マラソン? 知ら なかった」と言う奴が多いのだ。車の窓から顔を出して警官に文句を言ってる馬鹿も居る。マスコミで告知するだけでなく通行止めになる個所の周辺には遥か以 前から注意書きの立て看板が立っているというのに。恐らくこの事故を起こした彼も逮捕されて初めて知ったと言う口ではないだろうか?

2002年1月11日 猫に小判? 豚に真珠?
今日は今年になって初めて、隣の重機に揺すられて目が覚めてしまった。7日の日から作業はしていたのだが、音だけで振動は無かったのだ。だから、うとうと しながら「また始めたか・・・」なんて感じでそのうちにまた寝てしまっていたのだが、今日は飛び起きたりはしなかったものの久しぶりのことに一瞬地震かと 慌ててしまった。すっかり目が覚めてしまってからまた寝直したもんで、次に目が覚めたのは真っ暗になった18時頃だった。

と言うわけでいつもなら一仕事してから食事とガスの充填に行くのだが、今日は初めから食事に行き、車が汚れていたので洗車をしてからガスを充填した。仕事 の始まりはおかげで19時半頃。最初のお客さんを乗せたのは20時を回ってしまった。2回目のお客さんは老夫婦だったのだが、団地までだった。21時に近 かったか・・。今日は出発が遅かっただけでなく、回転も悪い。

三回目のお客さんは男性で、街の中心に近いところまでだった。走り出したらそのお客さんが「運転手さん、こんなものが・・」と言ってハンドバッグを手渡し てくれたのだ。あちゃ〜〜、やっちゃった。お忘れ物は運転手の恥なのだ。実はこのバッグ、スウェード風で、色は真っ黒。しかもあたしの席の真後ろにあった らしい。こうなると振り返ってみても見つけられないことが多いのだ。言い訳になるのだが、あたしの車の場合、リアシートのバックレストは黒に近い紺色で、 しかもシートカバーはハーフタイプ。だから、下の方に立てかけてあったりすると、バックレストに溶け込んでしまい見分けがつかなくなる。だから振りかえっ ては見たのだが、気がつかなかったと言うことなのだ。

組合の無線センターに連絡をしてみたら、未だ問い合わせは来ていないと言う。警察に届けておいてくれということだった。場所さえわかれば直接届けるのだ が、場所がわからない。最初のお客さんはやはり女性だったが、一人だったのでハンドバッグを右の方の席に置いたりはしないだろう。多分団地で下ろした老夫 婦のものだろうとは思うのだが、どの部屋か分からない。と言うことで、無線センターの言う通り警察に届けることにした。

警察で色々バッグの中身を見て、持ち主はわかった。最初は電話番号が分からず、拾得物として預かるからと言うことで書類を書き始めたのだが、そのうちにも う一人の人が電話番号の書いてあるものを見つけて電話をしてくれた。で、連絡がついたので迎えに行って連れて来てまた送り届けてくれと言うのだ。一旦警察 がかむと、本人に内容を確認させるまでは渡せないと言うことらしい。で、その老婦人を迎えに行って再び警察まで連れて行きそこで内容を確認してもらってめ でたしめでたしと言うことになった。

警察の人が「これから気をつけるんだよ。運転手さんに良くお礼を」と言うとその老婦人、別に持ってきていたバッグの中から、白いダンボールの薄い箱を出し たのだ。「うちのお父さんは日本画家で、東京では名が知れている。葉書の大きさの絵でも17万円もする」奥にある17インチくらいのテレビを指差して「ア レくらいだと170万円もする」と言うのだ。で、運転手への礼として何か無いかと思ったら今年の干支の馬の絵があったので、それをお礼として持ってきたと 言う。見たところ葉書よりは大きい絵で、きちんと額に入れてある。確かに見事なすみえだ。「この落款と大きさで値段が決まる」と言うことらしい。しかし ねぇ、芸術の分からないあたしにそんなものくれたって無駄なんだけどなぁ。こういうものは価値の分かる人に上げればいいんだよねぇ。あたしなんかはラーメ ン屋の食券のほうがよほどありがたかったりするんだけど・・・。

2002年1月12日 人が変わるとバランスが?
以前「指揮者が変わると・・」なんてのを書いた。1日だったか、2日の記事だったと思う。最近億劫になって遡って調べるのが面倒になってきた。と言うよ り、何を書いたかさえ覚えていないこともあるほどで、同じことを繰り返し書いている可能性すらある。

食べるものは作る人の感覚で作ってることが多いから同じ師匠から学んだ料理であっても人によって味も盛り付けも違うことがあるのは仕方が無い。実際には同 じ人でもその日の体調によって味が変わることだってありうるのだから。

今日はいつもの飯屋で、牛すき鍋を頼んだ。1人前が480円だから、良い材料を使っているはずが無い。肉なんてのは日によってはスライスした肉がまるで 入っていないことすらあるのだ。まるで牛丼屋の筋肉ばかり見たいな日もある。この店では牛丼もやっているので、もしかすると牛丼用の肉を間違えて入れたの ではないかというくらいのもんだ。人によってタレの量も違う。なべを傾けると隅にやっと溜まる程度の日もあれば、具をどけただけでもタレが見える日もあ る。白菜が黒っぽくなるまで煮込んでいる日もあればもう少し火を通して欲しいと思う日もある。

この中に入っている具なのだが、この店では今年からごぼうの千切りが入るようになった。全体的には固い具なんてのは無いのだが、このごぼうだけはいくら千 切りでも固い。すき焼きにごぼうを入れるというのは関西の文化なのだろうか? 去年まではごぼうは入っていなかったのだ。今年このごぼうが加わった変わり にえのきが無くなった。このごぼうが入ったおかげでどうも食感が悪くなった。そう言えば名古屋では白滝の代わりに黒い糸こんにゃくを入れる店が結構ある。 これは名古屋の文化なのだろうか。これでは黒滝だな・・・。それに東京ではあまり見た覚えが無いのだが、名古屋では白菜が必ず入っている。最近では東京で も入れる人がいるらしいが、本来は入れなかったはずだと思うのだが。

と言うことで、バランスの話なのだが日によってやたら白滝の多い日があったり、白菜の多い日があったり、また肉が多い日があるのだ。今日は白菜とねぎが多 かった。作る人が変わると野菜と肉のバランスが色々変わるもんだなぁと思ったのだが、それではなぜ人によって変わるのだろうと言う疑問が沸いてきた。もし かするとただ適当に入れているだけなのだろう。だから同じ人が作っても日によってそのバランスが常に変わっているのかもしれない。しかし・・、待てよ?  その人にとっての基準とは何だろう。もしかするとその人の家庭でのバランスが、そのまま現れている可能性もあるわけだ。すき焼きにやたらと野菜を入れたが る家庭で育ったとしたら、すき焼きには野菜を沢山入れるのが常識と言うことになるだろう。肉を沢山入れる家庭で育った人にとっては、肉の少ないすき焼きな んて・・・と言う感覚があるに違いない。と言うことは何気なく適当にやっているつもりであっても、その鍋にはその作った人の家庭が見えてくると言うことに なるのかもしれない。これから牛すき鍋を注文するときにはその作る人の顔を良く見ておいて、出てきた鍋と比べてみようかな。

2002年1月13日 言葉が変わるのは仕方ない?
パソコンの付属機器で、気になるものがあったのでネットを使って検索していた時のこと。表示されたページの日本語がおかしい。個人ページならともかく ASCII のページでのこと。出版社のページで日本語がおかしいなんてあってはならないことのはずなのだが、もしかするとあたしの方がおかしくなったのだろうか。

「○○社より△△が発売!」。これは見出しだ。「されました」が省略されているのだろう。しかし、省略したいのであれば「○○社が△△を発売!」のほうが 意味が通る。あるいは「△△発売」のように「が」を抜いた方がまだ日本語らしい。これはかなり以前から気になっていた用法だ。未だパソコン通信をしていた 頃だからもう5年くらい前かな。「本屋へ行ったら○○が山積みで売っていた」なんて言う表現は既に5〜6年前からあったのだ。○○が「何を」売っていた の?と聞いてみたくなる。いや、気になりだしたのがその頃だからもっと前からあったのだろう。本来なら「本屋へ行ったら○○が山積みで売られていた」と言 う所だろう。普通なら「が」があるとその前の言葉が主語だと思ってしまう。と言うことは目的語が無い。「売っていたものはなに?」と言うことになる。

かなり以前の日記でも書いたが「マンション発売中」と言う幟が目に付く。しかし「発売」と言うのは「売り始め」だから、それに「中」が付くのはおかしい。 「走行中」の自動車を見て「発車(走り始め)中」とは言わないのと同じだ。「発売日」と言うのは分かる。その日から売り始めると言うことだ。昨日発売され たなら、今日は「販売中」と言うのが正しいはずだ。

ついでだから最近気になった言葉をいくつか。まず、正月にラーメンを食べに行った店で会計のときに「お年玉」と書いた割引券をくれた。まぁ、なんと言葉を 知らないラーメン屋だろうと思ったのだが、もしかすると名古屋の風土そのものかな?とも思った。つまり「食べさせてやってるんだ」と言う姿勢の現れか?と ね。お客を下に見ているから出てくる言葉だ。目上に対しては「年賀」とするべきなのだ。そりゃぁ100円ばかりの割引で「年賀」とすることにためらいが あったという言い訳があるのかもしれない。しかしねぇ・・、このままだといずれ子供に「お年賀」を「上げ」て、上司に「お年玉」を「やる」時代が来るかも しれない?

個人タクシーを専門にやっている会計事務所がある。毎月支部会の日に来てくれて色々な資料を預かって行ってくれる。ところが年末は忙しい(かつては)の で、組合の支部会はお休みになる。そのため11月の支部会のときに会計事務所の人が封筒をくれる。毎月の金銭出納帳や輸送実績表を送るためだ。この宛名は ゴム印で押してあるのだが、初めから「御中」になっている。普通なら「行き」となっていてそれを出す人間がその「行き」を消して「御中」にするべきなのだ が・・・。運転手がそこまで知らないとでも思っているのだろうか?

ある掲示板を読んでいた時のこと「ありうります」と言う表現を見つけた。前後から判断すると「ありえます」と言う意味らしい。文語的な表現というか・・、 言い切りの形をとるなら「ありうる」が正しい。「ありえない」「ありえます」はもちろん正しい表現なのだが、最近「ありうります」と言うのも正しい表現と して扱われているのだろうか・・・。

活字を読まなくなった連中は時々変なことを書く。「気を付け!」と書く場合に「きよつけ」と書くのだ。あるいは「私も一応(いちおう)、知ってます」なん て書くべき場合に「私も一様(いちよう)、知ってます」と書いていることが多い。耳で聞いて覚えているから文字で書く場合にそれをどう書くのか知らないの だ。「気を付け」の「きを」の場合も、「一応」の「ちお」の場合もどちらも「い」と言う母音の後に「お」と言う母音が来ている。厳密には「を」の場合、 「ぅお」なのだが、現在発音的には「お」と同じ発音なので一緒くたにしているが・・・。こういった場合、「いお」と発音していてもそれが「よ」に聞こえる のだ。同じように「きうり」のように「い」の後に「う」がくると「ゆ」に聞こえる。だから「きうり」は最近「きゅうり」になってしまった。こう言うのを 「音便」と言うのだったかな? あたしも最近本を読まなくなったが、こういった書き込みを見ると「もっと本を読めよ」と言いたくなってしまう。

2002年1月14日 頭をぶつけた人は何人いた?
個人タクシーになってからは祝日に仕事をすることは無くなった。なぜって、とにかく暇なのだ。そこへ持ってきて、普段車に乗らない連中が下手くそなくせに やたらスピードを出して走りまわるから怖くて仕方が無い。下手にぶつけられたら損だから、家でじっと大人しくしているのが一番と言うことになる。

今日は成人の日だったのだが、こうやってやたらと連休を増やされるとそれでなくても不景気なのにさらに売上が落ちる。仕事を休むから売上が落ちるのは当然 と言うかもしれないが、それだけではない。連休の前後は財布の紐が固くなるのだ。売上が落ちるのはきっとタクシーに限らないだろうと思うのだが他の業種で はどうなのだろう。やたらと連休を増やしたのでは景気の回復も遅くなるのではないかと心配になってしまう。

法人タクシーに居た頃はローテーション通りに出勤していたので、祝日だろうと仕事に行かなくてはならなかったのだが、未だタクシーの運転手になったばかり の頃はこの成人の日は好きな祝日の一つだった。慣れない晴れ着で電車に乗って・・と言うのが大変なものだから、割合タクシーの利用者が多かったのだ。先 ず、美容室へお迎えに行って写真館へ送り、そこで待ってて成人式の会場まで、なんて言う仕事が結構あったのだ。また、式が終わるとそこから同級会の会場ま でなんて言う仕事も多かった。その頃はあたしもまだ若かったので、晴れ着を着たきれいな娘さんを乗せるなんてことが嬉しくってしょうがなかったのだ。

ところで普段は着物なんて着たことが無いものだから、今の若い娘は晴れ着を着てタクシーに乗る時の乗り方というか作法を知らない。ミニスカートやGパンの 時と同じように頭から乗ろうとするのだが足が上がらない。足が上がらないもんでつい体を起こすものだから頭を天井にぶつける娘が多い。「そう言うときは後 ろ向きになってお尻から座って、その後で体を回すの!」なんて教えてやると「本当だぁ〜、これなら乗れる〜」なんて感心してる。本来、車に乗る時はどんな ものを着ていてもこう言う風に乗るのがマナーと言うか作法と言うか優雅に乗リ込むコツなのだが、そんなこと若い娘が知るはずが無い。なぜって、その親の世 代ですらそう言う乗り方をしないからね。こんなことは着付けをする美容院などでちょっと教えてやれば済む事なんだけど、美容院の連中もそんなこと知らない んだろうなぁ。こういった乗り方をさりげなく出来るのはちょっと年の行った飲み屋のママさんくらいになっちゃったからなぁ。

2002年1月15日 組合め〜!
朝の9時頃布団に入った。6時間寝て3時に目を覚ませば1時間たっぷり風呂に入っても4時には仕事に出て行けると言う計算だった。ところが4時間半寝たと ころで、起こされてしまった。あたしの場合、一般の加入電話は常に留守電にしてある。ここにメッセージが録音されると携帯を呼び出すようにっセットしてあ るのだ。

昼の1時半頃、枕もとに置いた携帯電話の呼び出し音で目が覚めた。ボタンを押し間違えたのだが「メッセージ転送です」と叫んでいたのに切ってしまったの だ。で、とにかく留守電にメッセージが録音されたのは分かった。叔父や叔母はもういい年なので、もしかして・・・と思うものだから、眠いのに無理をして起 きて電話のある所へ行って再生してみたのだ。すると組合からの電話だった。組合と言ったって労働組合とは違う。協同組合だ。名古屋個人タクシー協同組合・ 経理の○○ですと言う。ちょっと待てよ。よほどの年よりならともかく、あたしくらいの連中は昼間寝ていることが多いんだから電話する時間を考えろよ!と文 句の一つも言いたくなった。

用件は先週の金曜日、11日に乗せた女性のお客さんからの問い合わせで、茶色いマフラーの忘れ物は無かったか、と言うものだった。時間と送り先を言われれ ば確かにそう言う仕事をした覚えはある。しかし、留守電を聞いた時には既にそんな忘れ物は無かったと確信したのだ。いやもしかするとあったのかも知れな い。次のお客さんが自分の物と勘違いして持っていってしまった可能性があるからだ。日報を見てみると、次のお客さんは初めて乗せた女の人で、それほど遠く は無かった。かなり酔っ払っていたので、大丈夫かなと思いながら降ろした覚えがあった。その次のお客はやはり女性客でこの人は常連だ。この3〜4日連続で 乗せている。この人は馴染みだから黙って持っていってしまうようなことはしないだろう。金目の物ならともかくマフラーのように身につけるようなものは、そ うやたらと持って行っちゃうなんて事は無いはずだ。その後のお客は二人連れの男性客だったが、彼等も何も言わなかった。

日曜日には灯油を買いに行ったのだが、その時にポリタンクをリアシートの足元に置いた。月曜日にはシートカバーを替えたから、その時にリアシートに座った りしているので、何かがあれば気がつかないはずが無い。もし本当にあたしの車に忘れていったのなら、次に乗った酔っ払いの女性が持って降りたと言うことに なるが、降りる時にはその女性がかなり酔っていたのでこちらも心配になってじっと見ていたから何か余計なものを持って降りていれば多分気がついただろうと 思う。いや、それよりも忘れ物をしたと言う女性を降ろして、いつものタクシー乗り場に戻った時、ノートパソコンでゲームをするために若干バックレストを倒 しているので、もし何かがあればその時に気がついていたはずだ。と言うのも、バックレストを倒すときにはつい癖で、リアシートを見るのだ。今回のは本当に あたしの車の中に忘れたのかどうか分からないのだが、最近忘れ物が続くなぁ。気をつけなくては。

2002年1月16日 突っ込まれちゃった
掲示板で返信していると長くなりそうなので、こちらで。

擬人法ってのは「海は招く」なんて奴で、あたしの身近な例でいうと車がノッキングした時に「エンジンが咳き込んでやがる」なんていう言い方のことだ。バッ クシャンの女性を見つけてクラクションを鳴らしたら振り返ったのだが、その途端にエンジンが「ブスブス」と言ったとか・・・。あ、これはおやじギャグ か・・。

倒置法ってのは主語や目的語と述語の順序を入れ替えて、強調するときに使う言い方で、「馬鹿か〜、おまえは」なんて奴のことだ。「知らねぇよ、そんなこ と」とチンピラ様でも使ってる。

「の」の代わりに「が」が使われることがある。
「我の」>「我が」、「君の御姿」>「君が御姿」なんて具合だ。
「○○が売っていた」とは明らかに用法が違う。例えば「本屋でパンを売っていた」と言われたら「あ、そう」で済んでしまうかもしれない。しかし「パン」を 強調しようと「パンが本屋で売られていた」と言われれば「え?うそ〜〜」と言うことになるだろう。これを最近の言いかたに直すと「本屋でパンが売ってい た」ということになる。これでは「本屋でパンが○○(目的語)を売っていた」という言い方の中から目的語を省略したようにしか見えない。もちろんあたしが 国語の教育を最後に受けてから既に40年近く経って居るので、その間に「が」が目的語を表す「を」と同じ意味を持つようになったのかもしれないし、「売っ ていた」が受身の意味を持つようになったのかも知れない。

この辺までは頭の中にあることだけでも何とかなったのだが、「ら抜き」の件についてはその規則性に自分でも自信がないので、口語の動詞・助動詞の活用表 (広辞苑)を引っ張り出してみた。「れる・られる」は「自発・可能・受身」の助動詞ということになっている。「れ(られ)・れ(られ)・れる(られる)・ れる(られる)・れれ(られれ)・れよ(られよ)」のように変化する。で? 「れる」と「られる」の使い分けはと言うと、「れる」は四段活用・サ変に接 続。「られる」はその他に接続すると言うことが分かった。いずれも動詞の未然形に接続する。と言うことでその規則が分かった。

で、自分はどうだろうと考えてみた。上一段活用・下一段活用では「られる」が使われるのだが、これはやはり「ら」を抜くと違和感がある。例えば上一段活用 の「起きる」は当然「起きられる」となるわけで、「起きれる」という言い方には抵抗がある。下一段活用の「出る」もやはり「出れる」というのは違和感が 有って嫌だ。やはり「出られる」だな。同じく下一段活用の「食べる」でも「食べれる」は嫌だ。あたしの場合「そんなに沢山は食べられませんよ」と言ってい る。

ところで調べていて気がついたのだが、活用表によると四段活用とサ変で使う「れる」の場合、「未然形」に接続されるはずなのにそれだけでは説明がつかない のだ。例えば「打つ」と言う四段活用の動詞で可能を表そうとすると「未然形」は「打た」で、それに「れる」をつけると「打たれる」となって受動の意味のよ うになってしまう。「飲む」の場合も「飲まれる」という言い方をしたことはないような気がする。まるで受動か尊敬語のように聞こえる。これらの場合は「打 てる」「飲める」と言っているはずだ。もしかすると「広辞苑」で可能を表す助動詞の例が「れる・られる」だけしか表示していないと言うだけで、実際には 「てる」だの「める」だのがあるのかもしれない。こう言うのは何で調べるのだろう。とにかく国語と社会は苦手だったからなぁ。

以前、新聞を読んでいたときに違和感を覚えた言葉は「走られる」だった。足に怪我をした人が「走ることが出来るようになった」という内容なのだが、どうも その表現が不自然だ。またあたし等の商売で言うなら「5人は乗れませんよ」と言うことがあるが、「5人は乗られませんよ」とは言わない。これだとなんだか 尊敬語のようだ。と言うわけであたしの場合、「ラ行四段活用」の場合は「ら抜き」である。上の例のように余計な「ら」を加えているのは、むしろ「ら足し」 とでも言うのかな? あたしの場合、受動・尊敬と紛らわしくなりそうな場合は「〜することが出来る」と言った表現で逃げているので、さほど「らぬき」を意 識することが無い。

2002年1月17日 ハンドル・ネーム
あるいはニックネームとも言うようだ。インターネットで使う名前のことだ。あたしの場合、imomushi がそうだ。そしてあたしの場合はこれがログインネームになっている。で、プロバイダへ接続するときのIDでもある。

ログイン・ネーム、つまり契約しているプロバイダでのIDに自分の名前を使ってる人がいる。これはメール・アドレスの@マークの左側の部分になる。同じプ ロバイダの中にその名前を使っている人がまだいなければ良いのだが、先に使っている人が居ると名前の後に数字をつけて区別をしたり、姓のイニシャルを繋げ て区別したりしている。そしてそれをそのままハンドル・ネームにしている人も居るが、ハンドル・ネームは自分の本名で通している人もいる。これは見る方か らすると区別しやすくてありがたい。しかし、本名だといたずらされたり、下手をすると悪いことに使われたりする可能性があるので最近は避ける傾向にあるよ うだ。

あたしの場合、15年ほど前にパソコン通信から入った。地元の草の根BBSが主であったので、先ず他人とハンドル・ネームがダブるようなことは無かった。 NHKのやっていた「銀河通信」でもNIFTYでも(旧)PC−VANでも問題無かったのだ。一時期BBSによっては MIDNIGHT を使っていたこともあったが、これでもダブる心配は無かった。ところが、つい最近加入した jside.com ではこのいずれもが既に使われていたのだ。驚いたね。こんな名前を使う奴が居るんだから。先に使われてやむなく数字をつけて区別する羽目に・・・

なお、この後に出てくるハンドル・ネームは実際に存在するかもしれない。これらはあくまでも例として出しただけであって、実在のハンドルネームとは関係無 い。

パソコン通信の時代、女性は「○○姫」とする人が多かった。「つる姫」とかいった具合だ。男性でも女性でも子供に呼びかける時のようなハンドルにする人も 多かった。「よっちゃん」とか「みーたん」なんて具合だ。これらはまだ良いが「さん」をつけてる人が居る。「さーさん」なんてバーのママがお客を呼ぶとき みたいな名前の人が居たりすると、その人に呼びかける時には「さーさんさん」なんてことになって具合の悪いこと。人が呼びかけるときのことも考えてくれよ と言いたくなる。

パソコン通信の時代には若い世代が多かったのだが、その彼等も今では人の親になっていたりする。すると、インターネットでのハンドル・ネームでも「○○パ パ」とか「△△ママ」なんていう人が増えてきた。中には独身なのにペットの親を気取って「ハムママ」なんて人までいる。そう言う人達が次第に面倒になって くると○○や△△を省略して単に「パパ」「ママ」と書いたりするようになるからさらにややこしくなる。狭い範囲でお互い分かりきっていると言うような場合 は良いのだが、色々な所を見て歩いているとあちこちに「パパ」や「ママ」が居るので紛らわしくなるのだ。あれ? あの人いつの間にここの掲示板の仲間に なったのだろう、と言った具合だ。

同じ掲示板の中でダブらないようにと、本拠地では「パパ」だった人が余所では「ぱぱ」になったりすることがある。中には「papa」「PAPA」 「PAPA」「Papa」のように色々なバリエーションが混在していることがある。書いている本人は区別がつくと思っているのかもしれない。確かに見た目 には違うのだが、読む方の頭の中ではどれも「パパ」なのだ。例えば、shige と言う人がある掲示板に行って見ると既にそのハンドル・ネームが使われていたとする。それなら、と言うことで sige にしてダブらないようにしたつもりでも、それを読む方の人の頭の中ではどちらも「シゲ」なのだ。インターネット人口がどんどん膨れ上がっている今、新しい 名前を作るのは大変だから仕方が無いのかもしれないが、もっと区別しやすい方法を考えて欲しいものだ。例えば「@」マークを使うのも一つの手だ。ただせっ かく「@」マークを使ってもその後に続くものがありふれたものでは意味が無いのだが・・・。

2002年1月18日 間違い電話・・他
京都のNHKで受け付け嬢を人質にとって4時間半も篭城したと言う男が逮捕されて驚いた。名古屋の人間らしい。いや出身は三重県らしいのだが、岐阜にも居 たらしい。で、今はあたしの住んでいる名東区の人らしいのだ。これだけでも驚きだが「なぜ京都」と言うのも疑問であり驚きでもある。名古屋にだってNHK はあるのだ。なぜわざわざ京都まで出かけて行ってそんなことをしたのだろう。目的はあるメッセージをニュースの中で読めと言うことらしいのだが、名古屋の NHKでも用は足りるはずだ。もしかしたら東京行きの新幹線に乗ったつもりで間違えて京都方面行きの列車に乗ってしまったのだろうか?

とんでもない時間に間違い電話で起こされてしまった。あたしの場合一般の電話は常に留守電にしてある。電話を掛けて来た人の用件が急ぎで無い場合には発信 音が鳴る前に切ってしまうだろう。急ぎならメッセージを残すだろう。緊急の用で、携帯の番号を知ってる人は直接携帯に掛けてくるだろう。15日の所でも書 いたが、メッセージが録音されると携帯に転送されるようになっているから急ぎの場合にはどっちにしても、枕もとの携帯がなるわけだ。既に親は二人とも居な い。と言うことはその兄弟だっていつどうなるか分からない。携帯の電源を切っていて間に合わなかったなんて、言い訳にならないと考えているからなのだ。

今日の間違い電話で起こされた時間は、普通の人が夜中の12時に寝て4時過ぎに起こされたと言うような時間だった。
「名古屋食肉市場ですが」
「はぁ?」
「○山部長でらっしゃいますか?」
「へ?」
「中○部長でいらっしゃいますか?」
「タクシーの運転手ですよ」
「・・・間違えました。プツッ」
中々礼儀正しい。いや、余所だったら礼儀知らずと怒るところなのだが、この名古屋では少なくとも間違いを認めただけでも誉めてやりたい。大概はいきなり 「プツッ」なのだ。

17〜8年前に来た間違い電話はもっとひどかった。名古屋へ戻って来てアパートを借り、電話を引いた翌年だったかな? 電話帳に名前が載ったばかりの頃 だったと思う。あたしんとこと、あたしの親の所を含めて同じ姓の家は4件しか載っていなかった。実際には名古屋の会社名鑑で偶然見つけた同姓の家がもう一 軒あったのだが、ここの家は某社の名古屋支店長宅と言うことで電話帳には載っていなかったのだ。当時、まだ名古屋へ戻ってきたばかりだったし、極親しい友 人と親以外はあたしに電話を掛けてくるなんて事は無かった頃のことだ。

ある時電話が鳴ったので受けてみると、知らない声が聞こえてきた。
「○○さんのお宅ですか?」
「(不思議に思いながら)そうですよ?」
「△子さんはいらっしゃいますか」
「いません(誰だこの△子というのは?)」
「いつお戻りになりますか?」
「(居ないって言ってるのに)なんのこと?」
「○○さんのお宅でしょ?」
「(しつこい野郎だな)そうだよ?」
「△子さんは居るんでしょ」
「一体どこに掛けてるんだ。何番に掛けたの?」
「あんたのとここそ何番だか言ってみろ!」
「ふざけんな!(ガチャッ。冗談じゃぁ無い)」

きっとあたしと同姓の女の子に惚れてたんじゃぁ無いのかな。電話帳で探してみようとしたら4件しか載っていない。それじゃぁ全部に電話をしてみようってこ とだったのではないだろうか。しかし、こんな礼儀知らずな奴では女の方でも愛想を尽かすだろうね。あ、そうか、相手にしてもらえないんで電話攻勢に出たと 言うことかもしれない。

2002年1月19日 バイオリニストに騙された話
金曜日の朝7時半からNHKで放送している「名曲リサイタル」という番組は変わっている。クラシックなど何も知らない落語家が司会進行をしているのだ。同 じようにクラシックを知らない人間が進行役をしている番組が無いわけではない。同じ金曜日の午後2時からの「おしゃべりクラシック」だ。これはスタジオか らの放送だ。日記を書き始めた頃にもちょっと書いたのだが、クラシック音楽を切り売りするから最近は聞く気もしなくなった。おしゃべりだけを聞いている分 には面白かったのだがね。

「名曲リサイタル」を聞いていて思ったのだが、会場のお客の拍手がうまい。以前何かの番組の公開生放送があたしの通って居た小学校の講堂で行われた時のこ とを思い出した。この時はかなり遅い時間だったが生徒が皆集められた。放送の始まる前に色々練習をさせられた。舞台の袖に居る人が手を上げて大きく回した ら思いっきり拍手をする、なんてことを何度も練習したのだ。きっとこの「名曲リサイタル」でもそんなことをしているのだろうななんて考えている時に、思い 出したくも無いようなことを思い出してしまった。

あたしがまだ極普通のサラリーマンだった頃、年間に10万円近くをコンサートに遣っていたことがあった。S席が12000円位だった頃の話だ。生のコン サートは良い。その会社を辞めて名古屋へ戻って来たばかりの頃、求職活動をしていた頃のことだと思う。行き付けの喫茶店で知り合った女性からクラシックの コンサートの券があるが一緒に行かないかと誘われた。生演奏にはご無沙汰だったので喜んで付き合うことにした。ところが行って見るとあたしの苦手な室内楽 だったのだ。ミーハーなあたしは古典、ロマン派くらいの派手なのが好きなのだ。交響曲とか協奏曲などの音に厚みのある曲、それも出来れば金管がキラキラし てるようなのが好きなのだ。どうも地味な室内楽は退屈なのである。モーツァルトのディベルティメントとか、ブラームスの六重奏曲などは好きなんだけどね。 あ、大公トリオなんかも聞くか・・・

おまけにプログラムを見ると耳に馴染みの無い作曲家の作品で当然聴いたことの無い曲目ばかりである。参った。それでも生なんだし聞いてみるかということで 席についた。室内楽の小編成の場合は指揮者など居ないことが多い。以前東京ゾリスデンのコンサートを聞いたことがあったが、端のバイオリニストと反対側の チェリストがお互いに目を見交わしながら、背を反らせたり上体を左右に揺らしたりしながら他のメンバーを引っ張っていた。今回もそんなことをしているだろ うな、と見ていたら一番端のバイオリンを弾いている女性がやはり他のメンバーを引っ張っているようだった。オーケストラのコンサートマスターみたいなもん だな。じっとその人を見ていると音が小さくなって消えたと同時にピッと弓を立てる。あ、アレが終わりの合図か。でそれから拍手だ。なるほど。弓を立てたら 曲の終わりで、それを見たら拍手をすれば良いのか。

何曲か演奏した後、後2曲くらいで終わりと言う時のことだった。彼女が弓をピッと立てたので思わず拍手をしたらすぐに演奏を続けたのだ。拍手をしたのはあ たし一人。いや、隣にいた女性、あたしを誘ってくれた女性までつられて拍手をしていた。なんで〜? と思いながらそのバイオリニストの女性をチラッと見た ら彼女もあたしのことを見ていて、目があった途端に「ニッ」と笑ったのだ。やられた。きっと、弓を立てたら拍手をする奴は誰だ? と探していたに違いな い。で、そいつを引っ掛けてやれ、と狙っていたのだろう。まんまと引っかかってしまった。でも、そう言う茶目っ気のあることをする人は好きだけどね。   とは言え、思い出すたびに耳まで真っ赤になってしまう。

2002年1月20日 早起きは止めにした
土曜日は普通だとお休み。仕事をしても売上が悪いし、無謀なドライバーが多くて怖いし。で、用事を済ませるのはつい土曜日と言うことになる。1月は車検の 月。木曜日だったかな? いつもの整備屋に電話をして、土曜日もやってるか聞いてみた。最悪の場合は月曜日に早起きして行けば良いと考えていたのだが、車 検の期間が月曜日までだと言われた。車検証を良く見ていなかったので日付までは覚えていなかったのだ。これは大変だ。月曜日に寝坊したら火曜日からはもう 走れない。土曜日もやっているということだったので、無理をしてでも土曜日に行くことにした。

金曜日の仕事を早く終わらせて、早めに寝て早起きをするか? 9時に整備工場へ入れるとするとそこから逆算して、どんなに遅くとも8時には起きなくてはな らない。と言うことは6時間寝るとして、2時には寝なくてはならない。そのためには1時には仕事を終えなくてはならない。とんでもない話だ。金曜日に必ず 良い仕事があるわけではないが、それでも1時に仕事を終えていたのでは稼ぎが悪くなってしまう。それにいつも朝の8時を過ぎないと寝ないこのあたしが、そ れより6時間も早く寝つけるだろうか。夜中の12時に寝る習慣の人が夕方の6時から布団に入ったって寝られないのと一緒だ。寝つけなくて困ったなんてこと は、去年の4月の法事のときに経験済みだ。

で、寝るのは諦めてずっと起きていることにした。これは紅葉狩りのときにも経験しているので多分大丈夫だろう。ただ問題は、紅葉狩りのときには2時間くら い時間を潰しただけで済んだと言うことだ。2時半過ぎに帰ってきて、あれこれとデイリーにこなす仕事を済ませ、インターネットで遊びながら5時過ぎまで時 間を潰しただけなのだ。それから出かける支度をして、6時に出発。ところが今回はさらに2時間ほど余分に時間を潰さなくてはならない。パソコンと遊んでい るとついビールを飲みたくなるのだが、これをずっと我慢しなくてはならないのだ。口が寂しくなっても良いように、お茶とか牛乳とかいったものを色々買い込 んで帰った。

一昨年の車検のときには取りに来てくれて、終わった後持って来てくれた。ところが、頼んだことがやってなくて、頼んでもいない物が替えられたりしていた事 があり、去年からは自分で持っていって事務所で待つことにしたのだ。そうすれば、整備中に発見された不具合もその場で確認できるからだ。次の3ヶ月点検ま では替えなくても持ちそうなものはそのままで、と言えるし、自分で部品を買って来て替えることの出来るものもある。言いなりになっていると幾ら掛かるか分 からないからね。人の命を預かる仕事なので具合が悪い所を放って置くことは出来ないが、かといって何でもかんでも取り替えちゃうなんてことは景気の良い時 期ならともかく、今は出来ないことだ。

付きっきりという訳ではないが、そばで見ていると点検もかなり丁寧になる。普通ならおざなりで済ませてしまうような所も、細かく点検してくれるのでそう 行った意味でも任せっ切りよりはずっと良い。決して信用していないという訳ではないし、点検する方だって見ていないと手を抜くという訳ではないのだろう が、やはり一緒に見ているほうが確実になる。その代わり眠いけどね。

夕方、いつもだと9時過ぎの空いた時間に行くことにしている中華屋へ食事に行った。混み始める前に行ってみようと思ったのだ。ところが、いつもいる超グラ マーな女の子がいなかった。いつも10時で帰る子なのだが、一体何時間仕事をしているのだろう。まだいないということは4時間位しか仕事をしていないのだ ろうか。それとも休みだったのかな? 残念。目の保養が出来なかった。

2002年1月21日 レシートとか領収書
レシートとか領収書ってちゃんと貰ってる? 今は一応個人事業主ということで、仕事に関係したものは経費になるからきちんと貰うようにしている。先週の土 曜日に車検整備してもらったのだが、この車検の整備費用、つまり部品代と交換工賃、それに基本的な検査費用などは当然経費だから領収書を貰う。また重量税 や印紙代などもちゃんと領収書を貰う。しかし、自家用に乗っていた頃はこんなことにはまるで気を遣わなかったのだ。今ではそれこそルームランプを一個買っ たってレシートをきちんと保存している。

ところが極個人的なことになると一々レシートを貰うなんてことをしない。仮に手のひらにレシートと釣銭を同時に乗せられても、釣銭だけをポケットにしまっ て、レシートは近くにあるごみ箱に捨ててしまうことが多い。もちろん大型のスーパーやデパートのように、あるフロアで買い物をした後別のフロアでまた買い 物をするなんて言う場合は誤解を避けるために店を出るまではレシートをポケットに入れて置くようにはしているのだが・・。

以前自家用車のミラーを壊されたことがあった。この時に大失敗をしている。壊されたミラーを町の小さな整備工場で取り替えてもらったのだが、この時は大将 がいなかったのだ。この整備工場は中古車も扱っていて、その時乗っていた車はそこから現金で買っている。で、ミラーを替えてもらって金を払ったら「領収書 は要るか?」と聞かれた。別に経費で落とすというわけでもないので「あ、いいよ、いいよ」と言って帰って来たのだが、翌月になったら請求書が送られて来た のだ。あたしも驚いてね、すぐに電話を掛けて「替えてくれた人にその場で払った」とその時の事情を詳しく説明したよ。大将も変だと思っていたらしい。なぜ なら、車を買った時にも引渡しの時に即金で払っているのに、ミラー一個の代金を払っていないというのはおかしいからだ。ちゃんと納得してくれたから良かっ たが、下手をすると二重取りされる所だった。そりゃね、大きな買い物なら領収書を貰うこともあったけど、数千円程度のものを買ったり、修理してもらったり した時に一々領収書を貰うなんてことはしたことは無かったんだよ。それでも後から請求書が送られて来たことなんて、余所の土地では経験のないことだったか ら驚いたね。

どうも、この土地では人を素直に信じてはいけないらしい。信号が青でも安心して走れないし、何事も疑って掛からなければならないなんて嫌だねぇ。

2002年1月22日 なぜ無口な運転手が多い?
「毎度ありがとうございます」
毎度だ? ふざけんな、俺はおめぇの車に今まで一度も乗ったことがねぇんだよ。ってーか、タクシーなんて滅多に乗ったことがねぇから、他の車も殆どが初め てなんだよ。

「どちらの方から行きますか?」
てめぇら、プロじゃぁねぇか。そんなことも知らねぇで良くタクシーの「運ちゃん」やってられるな。希望のコースだ? そんなもん、早くて安い道に決まって んだろ?

「今日は冷え込みましたね」
俺のせいだってのか? 冬は寒いことになってんだ。

「お疲れのようですね」
そんなこたぁ、あんたにゃかんけーねぇだろ?
たかがタクシーの運転手が気安く声を掛けるんじゃぁねぇよ。

「○○円になります」
そんなこと一々言わなくてもメーター見りゃ分かるんだよ。俺のこと、馬鹿にしてんのか?

「それは道交法で・・・」
ほう、客の指示に従がわねぇってのか。言い度胸してやがんな。そうかい。それじゃぁ会社(組合、陸事)に言うけど良いんだな。
(陸事とは陸上自衛隊ではなく、陸運事務所)

「ドア閉めても良かですか?」
なんだその口の聞き方は。態度が悪い。会社に報告しておくからな。
*この「良かですか?」の話は昨晩、NHKのラジオでやっていた。22時55分からやっていた長崎の方言の話に関する番組の中でタクシーの運転手の方言は 旅行者にとって、その土地に来た実感が沸くから歓迎という話だった。もちろん名古屋では「良かですか?」とは言わないが、名古屋の方言で喋る運転手のこと を態度が悪いと怒る客が多いらしい。

口は災いの元と悟った運転手は、言葉を発することをしなくなるというわけだ。つまり無愛想な運転手というのはお客によって作られるということなんだな。

2002年1月23日 頭を「ゴッチン」
あたしの仕事をしているタクシー乗り場は、一般道の車道の上だ。歩道にはタクシー乗り場の看板がある。この歩道は縁石の高さに合わせて車道より一段高く なっている。かつて歩道の高さと車道の高さが一緒だった時代があった。境に縁石があるだけで、タクシーに乗る人はその縁石を跨いで乗ると言う形だったの だ。ところがこれでは足を引っ掛けたりして転ぶことも有ったので、タクシー乗り場の前だけはこの縁石が取り除かれた。これでタクシーに乗る人はかなり乗り やすくなった。

ところが、ここの車道を舗装しなおした時のことなのだが、歩道を一段高くしたのだ。せっかくタクシー乗り場の部分だけ縁石を取り除いて乗りやすくしたの に、歩道を一段高くしたために逆に乗りにくくしてしまったのだ。車に乗るときは車輪の接している地面と同じ高さの位置からシートに腰を下ろすのが普通なの だが、それより高い歩道の上から腰を下ろすことになるわけだ。極端な言い方をすると、地面に這いつくばって走るスポーツカーに乗るときと同じような感じだ ろうか? 歩道と車体の床の高さがさほど変わりないのである。この一段高い歩道から乗りこもうとすると、よほど頭をかがめないと天井に頭をぶつけることに なる。かと言って歩道と車体の隙間が余りないので、一旦車道に下りてから乗ると言うことも出来ない。あたしもその辺のことは分かっているので、既に乗り場 にお客さんがいる時には歩道と車体の間を空けるようにしている。そうすれば一旦車道に下りてから乗ることが出来るからだ。ところがお客さんが続けて来ない ような時は余り歩道から離して止めていると車道を狭くしてしまう。いつ来るか分からないお客さんのために車道を狭くするのも気が引けるのだ。

もちろん、一番いいのは歩道の一部を削って歩道と車体の間に足が入るスペースを作ることなのだが、さほど広くもない歩道の一部を削るとタクシーに乗らない 一般の歩行者にとっては危ないものになるかもしれない。なんと言ってもここは歩道であり、タクシーに乗る人より通過していく人の方が多い場所なのだから。

頭をぶつけるのは二人連れの場合が多い。奥の席へ乗ろうとする人は頭から入ろうとするからだ。また単独の場合は女性に多い。どう言うわけか女性は頭から乗 ろうとする人が多いのだ。片足を床に乗せてから頭をかがめて乗ってくるのだ。きっと身長が低いからだろう。男性の場合は先に右足を床に乗せてから体をひ ねって腰を降ろす人が多い。これは運転席に座る場合と同じ乗りかただ。以前聞いた面白い乗り方を思い出した。いきなりステップに両足で立って、それから体 をひねって頭を中にいれようとする女性がいたらしい。話によるとその女性の職業はバスガイドだったとか。

今日は、久々に可哀相な場面を見てしまった。赤ちゃんを抱いて乗って来ようとした女性が、赤ちゃんの頭を天井にぶつけてしまったのだ。まぁ、今日の場合は 「コチン」程度だったからまだ良かった。それに抱いてる姿勢だから後頭部というか頭頂部が当たった程度だった。ところが、最近は見なくなったもののおんぶ 紐でおんぶしている場合、もろに額をぶつける場合がある。こうなると髪が生えていない部分だし、頭はのけぞるし、下手をすると鞭打ちになるのではないかと 心配になることも有る。
「・・・う・・う・びぇ〜〜〜〜〜〜っ」
こうなると堪らない。降りるまで泣き止まないなんてこともある。赤ちゃん相手に怒るわけにもいかないし、それに一番可哀相なのはその赤ちゃんなのだ し・・。そうなったら諦めてじっと我慢だ。

そういえば、最近おんぶ紐と言うのはなくなったのだろうか。この寒い時期、背中におんぶしてねんねこを着ていれば親も子もどちらも暖かくて良いはずなのだ が、殆どは抱っこだな・・。片手に荷物、片手に赤ちゃんでは見ていても危なっかしくってしょうがない。おんぶなら、両手が自由になるから雨が降っていても 傘だってさせるし。そう言えば一時期赤ちゃんを前に抱っこする格好の紐があったな。常に赤ちゃんとコミュニケーションが取れるから良いとか言って流行った が、最近はそれすら見なくなった。見栄えが悪いと言うことなのだろうか。もし躓いたりしたらどうするのだろう。赤ちゃんを放り出して、手をつくのだろう か。子供なんてのはまた造ればいいさって?

2002年1月24日 懲りない奴ら・・・
2年前にも牛乳で不祥事を起こしたはずなのに。たしかあの時も関西の方だったと思うが・・。またスーパーやデパートや学校給食などから締め出される羽目 に。

前回ので懲りたはずだと思うのだがねぇ。そりゃね、会社が無くなると言うだけならいいよ。あちこちから締め出されて会社が立ち行かなくなって、会社がつぶ れて従業員が失業して・・。失業者は増え、失業率が高くなって日本の景気の回復を遅らせる。それだけじゃ済まないんだよなぁ。前回の牛乳のときでもそう だった。町の小さな販売店、牛乳を生産している酪農家にも被害を与えていたわけだ。今回だって、せっかく牛肉の売上が持ちなおしかけている所で、この騒 ぎ。畜産農家にしてみれば命取りになりかねないような不祥事。

馬鹿なくせに、自分達は頭が良いとでも思っていたのだろうな。見破られないとでも思っているからこそ、こんなばかげたことをするのだろう。ところがどっこ い、周りから見ればやってることは丸見えだったと言うわけだ。倉庫に有る肉を別の箱に詰めかえるときには倉庫会社の社員を締め出したのだとか・・。そんな ことをすれば、何か悪いことをしているのだろうと勘ぐられるに決まってる。おまけに、自分達の中だけで済ませておけば、ばれなかったかもしれないが、倉庫 会社の方へも伝票を改ざんするように指示したりすれば、ばれないはずがない。目先の900万円を騙し取るために、会社そのものがなくなるかもしれないと言 うことは考えなかったのだろう。なんとも浅はかな連中だ。

2002年1月25日 大臣ってお飾り?
大臣になった途端に、馬鹿な発言をして野党から猛反発を食らってすぐに辞めざるを得なくなった大臣ってのは結構いるような気がする。国内どころか外国から クレームがついて辞めさせられた人もいる。今も、狂牛病問題で馬鹿な発言をした大臣が辞めろと迫られている。野党が騒いでいるだけのようにも見えるが、も しかすると与党の中の誰かが野党を焚き付けているのかもしれない。その椅子に次に座ろうと狙ってる連中は何をするか分からないのだ。

国土交通省のおばちゃんは、前政権のときから既に1年以上も同じ椅子にいるのだから替えろと与党の中で騒いでいる連中がいるらしい。一体誰が大臣の寿命を 1年と決めたのだろう。あたしが小学校の頃だったか、吉田内閣の大臣なんかかなり永いこと勤めていたような気がするのだが。古い話なので、はっきりとした ことは覚えがない。

まともな人材もいないくせに1年経ったから交代? 1年ばかりで何が出来るの? いや、そうじゃないのか。何も出来なくてもいいってことか? ただの椅子 取りゲームと言うわけか。しかしねぇ、ロスが多すぎるよ。新しい大臣はその都度外国へ挨拶回りに出かけて、官僚からレクチャーを受けて、頓珍漢な答弁をし て・・・。結局は官僚の思うが侭に操られて、時間が来たら交代。これでは何かをしようと思ったって出来るわけがない。やっと仕組みが分かって何かをしよう とすれば、はいタイムオーバー。官僚にとってはこの方が都合が良いんだろうね。本当の所は、年金のためだと言う話もある。大臣経験者の年金はかなり良くな るらしい。だから猫も杓子も大臣になりたがるらしいのだ。あたしなんか年金の支給開始年齢が引き上げられて、おまけに支給額も削られそうだとびくびくして るってのに。

そもそも衆議院の任期が4年なのに、自民党の総裁選挙が2年ごとと言うのはなぜなのだろう。この辺から間違っているような気がする。3年に延ばそうという 話もあるらしいが、衆議院の任期に合わせるのが本当ではないだろうか。衆議院の任期満了に合わせて、あるいは解散に合わせて総裁選をして、その新しい総裁 で衆院選を戦うと言うのが理想のような気がする。ただし、かなり時間的に無理があるだろうとは思うが。

世界各国の大臣が集まるような会合で、毎年出席する大臣が代わっているなんてのも変な話だ。きっと毎年顔を合わせている外国の大臣からすれば、見たことも ない日本の大臣なんか眼中にないかもしれない。金を出させる必要がある場合だけは大事にしてくれるだろうけどね。下手をすると来年の日本の大臣は誰が出て くるか・・賭けをしていたりして。

2002年1月26日 お医者さんと仲良し
内科とか外科とかはさほど縁はなかったのだが、歯医者、目医者とは仲が良かった。子供の頃は何かと言うと、目医者に行っていた。歯医者も割合よく通ってい たように思う。医院に入ると、「あら〜〜、imomushiちゃん、今度はどうしたの?」なんて言われていた。未だに歯医者とは仲がいい。

目医者はここ20年近く行っていないが、それ以前は子供の頃ほど頻繁ではないものの、時々行っていた。まつげが短いのだろうか。あるいは密度が低いのかも しれない。すぐに何かが入りこむのだ。子供の頃、自転車で走りまわっていた時にはんはよく虫が入りこんだりした。その後も、埃や鉄粉の錆などが飛びこんだ こともある。錆などは角膜に入りこんでしまうので、メスで角膜を削られたなんてことは1回や2回ではない。医者には視力が落ちるかもしれないよ、なんて脅 かされたこともあったが、幸いなことに未だに1.5と1.2を保っている。しかし、この角膜を削られるのは恐い。意識はあるし、目は開いていなくてはなら ないし。その目の前からメスが迫ってくるのだが、看護婦さんに頭を押さえつけられているから逃げることも出来ない。アレだけはもう嫌だ。

歯医者へ行くことも多い。もし、身元不明の死体で発見されたとしたら日本中からカルテを集めなくてはならないかもしれない。と言うのは冗談。だって、最後 に診てもらった医者が持ってるカルテで多分判明するだろうからね。実際、今回行った歯医者は1年と数ヶ月前に行った所だったのだが、またパノラマ式のレン トゲン写真を取っていたから。

あたしの場合、歯医者へ行って診てもらって一通り治してもらったとしても2年もするとまた行かなくてはならなくなる。中学校までは、東京の歯医者に、高校 は名古屋の歯医者に、その後社会人になってからは神奈川県に始まって熊本、新潟、長岡、名古屋で通っている。転勤の周期が短かかったので、住んでいたから と言っても歯医者へ必ず行っているとは限らない。名古屋へ戻って来てからで言うと、今のところは四軒目である。以前は、これは熊本で被せてもらった歯、こ れは長岡で詰めてもらった歯、これは新潟で・・・なんて具合に全部覚えていたのだが、今はそれらも全部名古屋でやり直されたようだ。今、かぶせてあった奴 とか、詰めてあった奴が取れているのが2箇所。臼歯2本分くらいの小さな義歯も壊れてる。また出費が・・・。そして仕事の時間が減って収入が落ちるからダ ブルパンチか・・・。

これらの他の医者へは殆ど行ったことがない。大した風邪でなければ薬で治るので、よほどひどい時以外は医者へ行くことはない。入院の経験は2回あるが、い ずれも病気とは言えないものだ。30代の半ばになって盲腸で2週間入院した。40代の初めに「お寺の病」で、2週間ほど入院した。この2回だけである。健 康保険料をちょっと安くしてもらってもいいのではないかとさえ思えてくるほどだ。しかしね、一病息災という新しいことわざにもあるように、常に軽い病気で 医者にかかってるくらいの方が、大病をしないで済むとか・・・。あたしみたいなのは最後には大病で苦しんだりして・・・。

2002年1月27日 ドロナワってなんですか?
行き付けのレストランバーへ行ってきた。軽く飲んで食事をして来たのだ。先ず、生ハムの乗ったサラダを注文した。アルバイトの女の子が、珍しいと言う。大 体あたしは肉食なので、鳥とか豚とかから始めることが多いので、サラダから始まったのを見て疑問に思ったらしい。そこで、今歯医者へ行ってる話をした。上 あごの歯茎の所からほっぺたにかけて腫れたんだと言うこと、医者へ行ったらメスで切られた事。今はだいぶよくなったが、昨日はこんなもんじゃなかったとい う話をした。で、今更だが、野菜を食べておかないとね。と言った訳だ。さらに「今ごろ野菜をたべたって、泥縄なんだけどね」と言ったら首をひねってる。

「どろなわ」ですか? 「どろなわ」って何ですか? どう言う意味ですか? 参ったねぇ。その子はもう既に20台の後半に入ってるんだけどね。こんなこと も知らないのかねぇ。そこへマスターが出てきたので、彼に聞いてみると彼も知らないと言う。彼は既に30台だ。カウンターに座っていた男性は知っていた が、連れの女性は知らなかった。彼等はマスターの知り合いらしかったからほぼ同年代と言うことだろう。彼等は年代が違うからと言い訳をしていたが、今でも 別に死んでしまった言葉というわけではない。いまでも「泥縄行政」なんて言い方をすることがあるのだから。あえて言うなら年代の相違というより地域差かも しれない。あたし以外の4人は名古屋の人だ。その仲で一人しか知らなかったのだから。

新聞とかラジオでもたまに出てくる言葉なのだから、もしかすると彼等は新聞とかラジオのない生活をしているのかもしれない。なんてことを書いていたら、以 前にも似たようなことを書いたかもしれないと気になってきた。だけど一々調べるのは面倒だからそのまま続けて書くんだけどね。

地元の大手新聞社はちょっと漢字の使い方が余所と違うことがある。あたしもいろんな所に住んで、その土地の新聞をよく読んだが、「ふるさと」を「古里」と 書く新聞社は始めてのように思う。たいてい余所の新聞では「故郷」と書いていた。あたしの故郷は東京だが、決して古くもないし里でもないって喧嘩を売るつ もりはないが・・・。最初「古里」の文字を見たときには思わず「コリ」ってなんだ?と思ったものだ。「故郷」と書いてあれば素直に「ふるさと」と読んでい ただろうと思う。「古里」と書いてあると自分とは縁のない、山の中の古い里というイメージだ。「生まれ故郷」と言うぐらいなのだから、「ふるさと」は「故 郷」でいいのではないかと思う。あれ? 話が脱線した。

泥縄に限らず、古い言葉がどんどん消えていく。店のマスターは「言葉は生き物でどんどん変化するものだ」と言い訳をしていた。しかしね。言葉が勝手に生ま れて勝手に死んでいくものではない。人が使わないから死んでしまうだけのことである。ではなぜ使われないのか。言葉を知らない連中が増えたから使われない と言うだけのことだ。なぜ知らない? 若い連中は本を読まない。人とコミュニケーションを取らない。同世代の人間同士でしかお話をしない。これではどんな に良い言葉あってもそれを知ることはないし、したがって使われることもなくなる。行儀とかマナーだってそうだ。で、注意をすると「そんなのは古い。時代が 違う」と反発されてしまう。この先どうなるのだろうと心配するのはやめにした。後20年我慢すれば済むことでだから・・・。

2002年1月28日 押しボタン式信号機
危なく指示された交差点を通り過ぎてしまうところだった。ある交差点を曲がった時に「二つ目の信号を左へ」と指示されたのだが、その二つ目の信号機で、あ たしが左折の素振りを見せなかったので「ここを左へ」と再度指示されたのだ。信号待ちで止らなかったら、きっと通りすぎていただろう。

二つめには違いなかったのだが、一つ目が押しボタン式信号機だったためにそれを勘定に入れていなかったのが失敗の元だった。押しボタン式信号機と言うのは 必ずしも交差点にあるとは限らない。交差点でなくとも学校の正門の前にあったりするからだ。信号機には間違い無いのだが、つい押しボタン式の信号機の場合 は数えていないことが多いのだ。その理由の一つは以前勤めていた法人タクシーでの指示の仕方にもあっただろうと思う。押しボタン式信号機を数える場合は 「押しボタン式信号機も含めて○個目の信号を・・・」といった言い方をしていたからだ。

どうも今日のお客はあたしをテストしたみたいな気がする。最初の指示とは違う筋を曲がらせたのだ。途中で気が変わったようだった。きっと車内での会話か ら、こいつは引っかかるんじゃないかと判断したのだろう。だとすれば、あたしは見事に引っかかってしまったと言うことだな。お説教までして頂いて・・・。 普段だったら、お客がうるさいと感じるほど念を押すのに、今日はまた何でボケていたのだろう。歯茎や頬の腫れはだいぶ引いたし、痛みはまったくない。だか ら、それが元でぼうっとしていたわけではないはずなのだが・・・。熱くなるほどお喋りしていたと言うわけでもないし。う〜〜ん、気をつけなくては。

2002年1月29日 掲示板のタイプ
掲示板にも色々ある。割合多く使われているのはあたしの所でも「雲助の井戸端」で使っているタイプだ。自前の掲示板であったり、レンタルであったりするの だが、このタイプが一番目に付くし、あたしにとっては一番使いやすいタイプだ。この他にも色々あるのだが、一番苦手なのは、タイトルがツリー表示されてい るタイプだ。これらの中でもましなのは、ツリーの中の元ネタを開くとそのレスも含めて表示されるタイプだ。所が元ネタをクリックしても、レスはその都度別 個にクリックしてやらないと開かないタイプなどは、ジリジリしてくる。これはあたしのとこが未だに一般回線のダイヤルアップで、速度が遅いせいもあるのだ ろう。最近ではこういう掲示板を見るとはじめから読むのを諦めてしまう。

別の意味で嫌いなタイプは、画面の左右一杯に表示される掲示板だ。自分で改行しているのに、投稿して読み込んで見ると自分が改行したはずのところも全部繋 がっていて、画面一杯に表示されていたりするものまである。これらは右の端まで読んだとき、次の行を飛ばしてしまったり、同じ行を再び読み返していたりす るのだ。読むときはマウスのカーソルでなぞりながら読むのだが、あまりにも1行が長いとそれでも間違えたりするのだ。やはり1行の長さはせいぜい全角で 30文字位に押さえたいものだ。間違い無く読んでもらうためにはその辺が限度のような気がする。

この日記のオリジナルはやはり画面の端から端まで表示されるタイプであった。あまりにも読みにくいので自分で勝手に改造したのだ。オリジナルを知っている 人は、その他の点も含めて大きく異なるので驚くに違いない。読む人の画面の設定やフォント・サイズの違いによっては逆に読み辛くしている可能性もあるかも 知れないが。

最近出来たばかりの新しいホームページの掲示板に書き込みをしようとした時のこと。本文を書き終えて送信したらエラー表示が出てはねられてしまった。タイ トルとか、送信者の名前などの必要な項目を記入していなかったらしい。普通ならブラウザの「戻る」を使って書き込みのページへ戻れるはずなのだが、この掲 示板では「戻る」をクリックしたら、書きこんだ内容はすべて消えていた。つまり書き込みを始める前の状態へ戻ってしまったのだ。また同じ文章を入力するの は面倒だったし、大したことでもなかったので、そのまま書き込みをやめて余所のページへ移動してしまった。

クッキーの無い掲示板もつい敬遠してしまう。その都度、投稿者の名前とか、メールアドレスとかを打ちこむのは面倒だから。あたしはそれほどものぐさなの だ。キャッチボールなどしたことがない。どうせ投げても帰ってくるボールを何で投げなくちゃならないんだ、ってね。自分が好きなこと、興味があることには 一所懸命になるけど、それ以外のことに関しては「面倒臭い」の一言で終わりなのである。

2002年1月30日 空き巣みたいな客
一度やってみたいことがある。ドアが開いているからと言って声もかけずに乗ってくる客が多いので、その途端にいきなり運転席のドアを開けて外へ飛び出すの だ。で、「ア〜、びっくりした。強盗かと思った」と言ってやるのだ。面白そうだなぁとは思うのだが、実際問題としては、いきなりドアを開ければ危険だし、 ベルトが邪魔で飛び出すことは出来ないし、無理なことだろうとは思うんだがね。

しかしねぇ、ドアが開いてるからと言って一言も声をかけずに乗ってくる人達が多いと言うのはやはり土地柄だろうか? こういう人達って人の家を訪問した 時、ドアがあいてればいきなり茶の間までヅカヅカと上がり込むんだろうか。アメリカ映画なんかを見てると、ドアが開いていても一応ノックして相手の注意を 引いておいてから中へ入ると言うシーンを良く見る。ドアが開いていても運転手は前を見ているのだから、いきなり乗ってこられると言うのは心臓に良くない。 礼儀正しい人は「よろしいですか?」と聞いてから乗ってくる。許しを請えと言ってる訳ではない。特にこの辺の人は人に許しを請うなんてのは大っ嫌い。まし て相手がタクシーの運転手となれば「そんな奴に頭を下げられるか!」ということもあるようだ。「よろしいですか?」がいやなら「頼むよ!」とか他の言い方 もあるんだけどなぁ。

「たのむよ」とか「いいかい」とか言うのも面倒なら、見える範囲で合図をすればいいんだがねぇ。運転手に向かってちょっと手を上げるだけでいいんだけど、 それも嫌なのだろうか。タクシー乗り場は駅から出た人からすると上り坂の取っ付きにあるもんで、前屈みで下を見ながら上っていく人や、坂の上を睨み付けて 上っていく人など様々だ。その同じ格好で登ってきた人がいきなり乗り込んで来れば驚くに決まってる。運転手の顔を見ただけで合図をした気になっても駄目だ よ。あたしの顔に見とれながら通り過ぎて行く人は結構多いんでね、見つめられたくらいではお客とは判断できないんだから。

2002年1月31日 一方通行の合図
実は「空き巣みたいな客」の続きなのだ。一気に書き上げたら長くなりすぎたので、2つに分けたと言う次第。

だいたいこの辺の人は挨拶をする時でも相手の顔を見ない。特にコンビニなんかでは並べなおしている商品に向かって「いらっしゃいませ〜」と言う。レジを 打ってるアルバイトはキーボードに向かって「いらっしゃいませ〜」と叫んでいる。ただ単にドアが開いたから、入ってきた人の顔も見ずに条件反射のように挨 拶してるだけなのだ。こんな誠意の無い挨拶なんて無い方がましだ。ってのは1年以上も前に書いたような気がするが・・・。ところがこの辺の人は合図をする にも相手の顔を見ていない。きっと自意識が過剰なのだろう。自分の周囲にいる者は皆が、自分のことを見ているに違いないとでも思っているのではないだろう か。顔も体も正面を向いたまま、横にいる(自分を見ているはずの)運転手に手だけで合図をしている奴が多い。これはあたしの横でそんなことされても分かる はずが無い。なぜそんなことを知っているかと言うと先頭から2台目にいるときに見ている光景なのだ。

合図と言うのは「相手が確認した」ことを「自分も確認」して初めて成立するのだ。その相手が確認したかどうかを確認できないような合図は合図になっていな いのである。例えば走ってくるタクシーに一瞬手を振るだけと言う人がいる。運転手からすれば「何かな? 今一瞬手が動いたような気がしたが気のせいか?」 と通りすぎてしまう。手を上げられればあたし等はその合図を認めた印として、また後ろの車に「停まるよ」という合図としてハザードを点滅させる。それを見 たら手を下ろせばいいのだ。運転手がハザードを点滅させていないと言うことは見逃しているわけだから、ハザードが点滅しないうちに手を下ろしてしまうと、 通過されてしまう。

タクシー乗り場に停まっているタクシーの場合、横を歩いている人がただの歩行者かお客かの判断は出来ない。歩いてくる人を見ていても合図が無ければ客だと は判断できないのだ。合図を待っているのだが、歩いてきた人の顔が窓から見えなくなったら、次に歩いてくる人に注意を向けてしまう。顔が見えないと言うこ とは相手からもあたしの顔が見えないわけで、合図を確認したと言うリアクションを相手が確認できるはずが無いからだ。

バブルがはじける以前のこと。客かどうか判断できず、通過したことがあった。通過した後ミラーを見ると怒っていたり、戻って来いと手招きしていたり、ある いはどうして?と言った感じでおろおろしている人がいた。この人達の合図は合図と言えないものだったのだ。以下はその例。

左前方の歩道をあたしと同じ方向へ向かって歩いている男性がいた。こちらからは背中しか見えない。左手をコートのポケットに入れ、右手は脇にカバンを挟ん だ状態で手のひらだけがヒラヒラしている。スピードはさほど出ていなかったのだが、近づいても振り返りもしない。顔が見えていないのだからタクシーに乗ろ うとして合図をしているとは考えもしなかった。通過した後ミラーを見るとカバンを振り回していた。もう遅い。今更バックできるか。実はこの男性、その直前 の信号の角にいたのだ。あたしは交差点の手前で先頭に停車していた。この男性は渡ったところの角にいたのだが、右の方へ横断するのか、それとも空車のあた しを待っているのかと思っていたらそのまま前方へ向かって歩き出したのだ。「なんだ客じゃなかったのか」と思っていたので、尚更合図だったとは思えなかっ たと言う訳。

バス停の近くでおばさんが二人、向かい合って話をしていた。二人ともお互い向きあったまま、こちらをチラッとも見ない。こちら向きの女性が話に夢中のよう で身振り「手振り」を交えて熱弁を振るっている様子。またなんと大げさなジェスチャーだと思いながら通りすぎてミラーを見ると、二人でこちらを見ながら手 招きをしている。なんだ、合図だったの?