手習い 1 [ 始動 ]


おはようございます。先輩起きてます?」
お,来たな。そういつもいつも寝てるわけじゃねぇよ」
だって、こないだ来た時には、まっぴるまっから起こすなって怒られましたからね。それにあれ以来いつ来ても返事がなかったじゃぁないですか。死んじゃったのかと思いましたよ。それとも、冬眠でもしてたんですか?啓蟄を過ぎたんで冬眠から覚めて起き出してきたとか。」
死んでた訳じゃぁねぇよ。ったく、人のこと勝手に殺しちまいやがって。それに冬眠してたわけでもねぇし。 ったく、人のことを蛙や蛇見てぇに言いやがって。ちっとばっか、電脳の調子が悪かっただけだよ。
ま、いいさ、てめぇがその気ならこっちだって適当にやらしてもらうから。どうせこれはこの俺のほうから言い出したことだしな」
あ、すんません、今のは冗談ですってば。で?今日は何から始めるんです?」
何から始めるかって? んなもん、車はいつも動いてるわけじゃぁあるめぇし、まずエンジンをかけて動かすとこから始まるんじゃぁねぇか」
へ? エンジンの掛け方にも名古屋流ってあるんですか?」
ん? まぁ、エンジンの掛け方にゃぁそんなもんはねぇんだろうがな。掛けてから道へ出るまでのとこがちょっと違うっていやぁ、違うところかね。
とりあえず、車に乗れや。で、エンジンを掛けてね。掛け方は分かってんだろ?まずチョークボタンを引いて、スロットルボタンを半分くらい引いてだな、トランクからクランク棒を出してきてそれをバンパーの穴に入れるだろ?親指は人差し指にそろえて置けよ。ケッチンを食らうと指が折れるからな。あ、そういやぁ、イグニッション・キーを『ON』にしとくのを忘れんなよ。で、時計回りに勢いよくまわす!!」
ちょ、ちょっと待ってくださいよ。先輩の車って何年式ですか? 今時そんな車があるなんて・・・。」
ば〜か、冗談に決まってんだろ。さっきのお返しだよ。クランクでエンジンを掛けられるようになってたのは柿の種の『青い鳥』まで位だろうな。あれだって、セルの補助みたいなもんだったからな。バッテリーでも上がらねぇ限り、あんなもん使う必要はなかったわけだし・・・・」
ったくもう・・・。あんなもん使ってたら、真冬でも汗びっしょりになっちゃいますよ〜」
ま、冗談は置いといて、エンジン掛けといてくれや。すぐ行くから。

さて、家の場合屋根はあるけど、回りがないからエンジンを掛けてそのまま置いといたって別に問題はねぇんだが、これが周りを塀で囲っておまけにシャッターが付いてるなんてぇとそうはいかねぇだろ?寒い時期にエンジンがあったまるまで狭い車庫に入ったまんまだと、一酸化炭素が充満して中毒になっちまう。何年か前のこったが、雪が降ったことがあってね。エンジンを掛けてからチェーンを巻こうとしたんだが、巻いてるうちに頭が痛くなってね。それが並の痛さじゃぁねぇんだよ。なんのこたぁない。一酸化炭素にやられていたんだね。気付くのが遅かったらそのまんま地獄行きだったね」
先輩でもそんなことがあるんですか?」
それはなんだ。誉めてんのか馬鹿にしてんのか。 ま、いいさ。 とにかく、周りを囲ってなくったってそう言うことがあるってぇこたぁ覚えとけよ。まぁ、おめぇだって車に関しちゃぁ初心者ってぇ訳じゃぁねぇんだから、いまさら言うまでもねぇんだろうがな。
でね、これはこの地方の大手地方紙に載っていたことなんだが、水温計の針がちょっとでも動いたら、もう走り出せってんだよ。これは記者が書いた記事じゃぁなくって、自動車評論家ってぇ奴が書いたもんだったんだが、いつまでもエンジンが温まんのを待ってたら、空気を汚すし、ガソリンの無駄遣いだってんだ」
最近の自動車評論家ってのはなんかむちゃくちゃなことを書いてますよね。多分ひととおんなじことを書いてたんじゃぁ注目されないかも知れないなんて思ってるんじゃぁないですか?わざと違うことを書いて注目を集めようとしてるようなとこがありますよね。
大体冷えてるエンジンがスムーズに回るためには暖かい時以上にガソリンを送り込まなくっちゃぁいけないというのはEFIだっておんなじことですからね。そこへ持ってきて走行しているときには、ただのアイドリングの時以上に燃料を余計に送り込んでいるのは当然ですし、スピードを上げる時、つまり加速する時は更に燃料を余計に送り込んでるわけでしょ? アイドリングで回転数の低い時、というか、無負荷の時以上に燃料の無駄遣いをしてるような気がしますけどね。それにそれだけ空気も汚すんじゃぁないですか?」
俺に言うなよ。書いたのは自動車評論家ってぇ奴なんだから。それにな、トルコンのオイルが温まってないときにはトルコンスリップってのが少ないから、ブレーキをかけた時に停まらなくなるんだよな。
そりゃまるっきり停まらねぇってぇ訳じゃぁねぇが、ブレーキを掛けた時、エンジンは温まってないから、エンストしないようにガソリンを余計に送り込もうとするし、当然ガソリンを送り込むってこたぁ車自体が停まらないようにタイヤを回そうとする力が働くわけだよな。で、ブレーキの倍力装置に働く負圧も減るし、トルコンも粘るし、いいこたぁねぇんだがなぁ。
もし、この記事にはっきりした数値のデータが載ってりゃぁ、このあたしでも鵜呑みにしてたかも知れねぇが、あんだけあいまいな書き方をされりゃぁ、ただの思いつきで書いてんじゃぁねぇかって思っちまうよ。多分何も知らない連中はそのまんま鵜呑みにしたろうね」
で? 先輩、その水温計がちょっとでも動いたら走り出せってのは、普通に走ってもいいよってことですか?」
あぁ、それはまた別の問題なんだがね、この評論家の先生はゆっくり走れってんだ。でね、このことに関しちゃぁ改めて、評論家の先生が書くまでもなく、みんながやってたことなんだよ。この名古屋ではね。
真冬の寒い朝に会社に行こうとして車を走らせてるとするだろ?前を走ってる車がやたら遅いんだよ。いってぇなにやってやがんでい、なんて思いながらよく見ると、マフラーから出てくる排気ガスは湯気で真っ白。リアウィンドゥは霜で真っ白。で、更によく見るとフロントウィンドゥは20センチ角位しか霜が取れてないんだよ。
で、ドライバーはというとだね、シートベルトもせずに、ガラスに顔をくっつけて、時速30キロくらいの速さで(遅さで?)のた〜〜っと走ってやがる」
それって単に迷惑なだけじゃないですか」
それ! 問題はそれなんだよ。この名古屋ではね。
名古屋走りの基本はそこなんだ。つまりね、『人の嫌がることをしましょう』ってのが、基本なんだよ」
ちょっと待ってくださいよ、先輩。それって『人が嫌がることを率先してやりましょう』って奴じゃぁないですか? 人が便所掃除をしたがらないなら自分が率先してその便所掃除をやりましょうって言う・・・・。きっとその解釈を間違えてんですよ。
ほら、一時期よく言われたじゃないですか。『情けは人のためならず』ってことわざには二通りの解釈があるって。
『人に情けをかけて甘やかしてはいけない』っていう解釈もあるけど、『情けを掛けるとそれが回り回って最終的に自分のためになるんだ』というのが本当の解釈だっていう話」
ん〜〜、そんな話もあったかも知れねぇが、ここでは違うんだよ
ま、自分の目で見てみりゃぁ分かるさ」

00/03/15