守秘義務ってのがある。役人とか、医者とか弁護士が職務の上で知ったことを人に教えちゃぁいけねぇって奴だ。最近警官が捜査資料を横流ししたりして話題にもなったね。で、この守秘義務ってぇ奴があたしら運転手にもあるのかってぇと勉強不足のあたしは知らねぇ。最初にタクシーの運転手になるとき、名古屋最大手のタクシー会社で色々教えられたんだが、そん時にゃそんなことなにも教わらなかったな。個人タクシーの免許を取るための講習会でもそんな話は聞かなかったしね。ただ一般的な常識としてというか倫理という面から考えると、やはり胸のうちにしまっておくべきなんだろうと言うことかね。
あたしなりの解釈からすると、守秘義務が生じるのは医者や弁護士、警察などの様に職務の遂行に必要で、相手から情報を引っ張り出すような立場のもんについてだけだと思う。運転手の場合は殆ど、相手の方から喋ってくることの方が多いからねぇ。たぶんそんな義務はないと思うんだけどね。
だから、お客さんとあたしが一対一で会話をした時の内容で、特に黙ってろなんて言われなかった場合、世間話として面白けりゃぁ、次のお客さんとの話題にしちまうこともあるし、お客さん同士が面白い話をしてて、それが世間話程度のものであればどこの誰か特定できるわけでもないし、やっぱり次のお客さんとの話題にしちまうだろうね。だけど、お客さん同士が難しい話をしててね、あたしがその会話に混じってないような時は知らん顔でそのまま忘れることにしてる。それがマナーというか職業倫理というか。難しい言葉使っちまったな・・・。
00/03/05
男と女が乗ってきて、特に声を潜めるわけでもないが、二人だけの静かな会話を交わしてるなんて時には、こっちも話をしなくてすむってんでね、耳はラジオの方へ行っちゃってるなんてことが多いんだな。ところがね、これは習性になってるのかねぇ、「ボールペン」とか「書くもの」って言葉には耳が勝手に反応することが多いんだよ。たとえばチケットを出してね、降りる時にさっと渡せるようになんて気を使ってくれるお客さんは、走ってる時に「書く物貸して」といわれることが多い。
男女の会話を聞いていたわけではなくとも、女の人が男の人に向かって「ボールペン貸して」といったとき、あたしはいつもの癖で、反射的に自分のボールペンを後ろに向かって突き出してたんだよ。そしたらその女の人、「いやだ、話を聞かれちゃった」と、まるで非難するような声で言うんだから参るね。人に聞かれて困るような話をこんな狭い車の中でするなよって言いたくなるね。
00/03/06
三〜四人がおしゃべりしながら乗って来るような時、乗り込む時も乗りこんでからもお喋りがとまらねぇって連中が時々いる。行き先を聞くとそのうちの誰かが「お〜いどこ行くんだっけ」なんて言ってね、ところが他の連中は相変わらずお喋りが続いていて誰も返事をしねぇ。そのうちに「どこ行くんだ」なんて聞いてた奴までが、お喋りに戻っていって行き先がわからず、発進も出来ないなんてことがある。
それとは逆に、会話だと思ってたら指示をしてたなんてこともある。うしろで「そうなのよねぇ」「え〜?やっだぁ」なんておっきな声で喋ってたかと思ったら「嫌だぁ、通り過ぎちゃったぁ」「さっきのとこ曲がってって言ったでしょう」なんて怒ってる。で、声の調子が変わったんで「ん?」てんでね、ミラーを見ながら停まると、ミラーの中で客がにらんでやがる。
運転手と客の二人だけだと思っていても最近では携帯で話をしてることがあったりして、うっかり返事をするとにらまれる世の中なんだよ。ましてね、あんたらのお話を全部聞いてるわけじゃぁねぇんだから、二人だけの会話の時と、運転手に話し掛ける時で、声の調子を変えるとかさ、「運転手さん」とか言って呼びかけて注意を引いておいてから、行き先を指示してよ。それとも彼がどうしたとか、彼女と何したなんてつまんねぇ、というか恥ずかしい話を全部聞いてろってぇの?
00/03/06
繁華街の中で拾った二人連れの男性客だったんだが、乗ってきた時に「方面」だけを言って具体的な地名も言わなきゃ目標も言わねぇなんて奴がいた。その指示のし方だが、「これをまっすぐ行って(北を向いていた)どっか適当なところで41号(国道の)へ入ってよ」ってんだね。まっすぐに走りながら、ちょうど信号が変わりそうなところで右折して41号線に入ったんだが、最初北向きだったんだから、41号線でも北へ向いて走りぁ良いってのはわかってるんだよな。ところがどこまで行きゃぁいいんだか分からねぇ。ところが、この二人連れは走り出してから難しい話を始めちゃってね、割り込むチャンスが中々見つからねぇ。どうも仕事の話や上司の話らしいんだが、どっか切れ目を見つけて割り込もうと思ってもその切れ目がねぇんだよ。ま、いいか、寝てるわけじゃぁねぇんだからそのうちなんか言うだろうってんでね、あたしも黙って走りつづけたね。ただ、この41号を走らせる客の大半が指定する目標ってのが三〜四箇所あってね、そこでは何か指示がありゃぁしねぇかってね、ミラーを見ながら聞き耳を立てて見るんだが一向にその気配がねぇ。あんまり話を聞いてちゃいけねぇだろ
うってんで、そこを過ぎるとまた知らん顔したりしてね。
で、ある交差点に差し掛かった時、ここから先へ行く人はそうはいないというところで思い切って声をかけてみたんだよ。するとね、「あ、丁度いいところだった。この陸橋を越えてから一つ目の信号を左へ」ってんだ。「いいところで声をかけてくれて助かったよ、以前同じように話に夢中になってたら、岐阜県に入ってしまったこともあったよ」なんて言われてね。
しかしねぇ客の方は気楽なもんだろうが、こっちは気がきじゃぁねぇんだから。いつ声が掛かるか、目的地を過ぎてて後から文句を言われるんじゃぁねぇかとかね。人の話を聞く気はないけど、こう言う場合は話に割り込むタイミングを図るためにある程度は話を聞いても勘弁してもらえるだろうね。
男と広告屋
00/03/06
何年前のことだったかなぁ、確か7〜8年は前の話だったと思うんだが、ある大手の広告代理店の前で2人連れの客を拾った時のことだ。その行き先はこれもある大手新聞の名古屋本社だったんだけどね。その二人の話の内容はびっくりするような内容だったんで、知らん顔で運転してるような顔をしながら思わず聞いちゃったね。 ま、この辺から守秘義務か、モラルかってぇ話しになるんだがね。
二人のうちの一人はこれから行く新聞社の社員だったようだ。で、もう一人は大手広告代理店の社員だったようだね。その大手新聞社の社主がついさっき亡くなったってんだ。はっきりそう言ったわけではないんだが、前後の話から亡くなったのはその社主だなとあたしが勝手に決めただけのことなんだがね、その後のニュースでそれは確かめられたよ。で、マスコミへの発表は夕方の4時だって言うんだな。未だ2時間以上先の話なんだが、どうもその新聞社の社員も知らなかったことのようで、さすが大手の広告代理店の情報網はすげぇもんだと感心したもんだった。で、そこからあたしの悩みが始まったんだよ。
当然、他の新聞社の連中は未だ知らないだろう。あたしの勤めていたタクシー会社は別の新聞社と契約していて、取材なんかで利用してもらってるんだから、新しいニュースを提供するのは当然だろう。だけど、乗ってきた客だってやっぱりいつも利用してもらってるわけだし。もし、ここでこの話をお得意の新聞社に流せば、未だ夕刊には間に合うだろうが、それで、その広告代理店の信用を失ってお客を減らすわけにも行くまいし。それに数時間先の4時に発表というのは何か考えがあってのことだろうし、株価や景気にも影響するのだろうか・・・・。なんてね、つまんない深読みまでしてしまったんだよ。
ま、乗ってくれたお客さんの信頼を裏切るわけにはいかねぇし、数時間黙ってればラジオやテレビで報道されることだし、その間、人に教えたいってぇ欲望を押さえこんどきゃぁいい訳だってんでね、だんまりを決め込むことにしたんだが・・・喋りたかったなぁ。そんな人に喋りたくなるような秘密の話を狭い車の中ですんなよな。
00/03/06
バブルがはじけた直後、あっちこっちで倒産の話が聞こえ始めた頃だったかね。名古屋市東部の住宅街で二人の男性を拾ったんだよ。行き先は地方紙の大手新聞社。で、その二人が後ろでさほど大きくない声で話してたんだが、別にヒソヒソ話しというわけでもないので聞くでもなしに聞いてしまったんだよ。それがどうもどっかの会社が傾いてるんだか、倒産したんだかそんな話しをしてるんだな。で、突然どこか公衆電話のあるところで止めてくれってんだね。すぐにボックスを見つけて停めて待ってたんだが、戻ってくるなり、「逆方向で悪いんだが、○○町まで行ってくれ」というわけだ。ある立派な家の前に止めて見てるとその二人は降りてって、インターホンで中の人と話をしてる。
しばらくすると戻ってきて、また会社へ戻ってくれと指示されたんだが、どうやら目的の人は留守で会えなかったらしい。で、ちらちらと聞こえてくるのは美術品とか絵画とかどこそこの倉庫とか・・、あるいは何とかって自動車の販売会社の名前だね。総合すると、ある自動車販売会社の社長が、バブルの好景気に乗って色々美術品を集めたんだが、車の売れ行きが落ち込んで会社が倒産したらしいと言うことだったんだよ。あ〜ぁ、大変な世の中になっちまったなぁなんて思いながら聞いてたんだがね。
深夜、お得意さんの新聞社へお迎えに行く仕事があったんで指定の時間になって行ってみても、その人が出てこないんだよ。受付に聞いてみるとどうも特落ちがあったってんだな。この特落ちってのは特種を他社に出し抜かれて自分とこではその記事を載せられなかったってことらしい。そこで、せめて間に合う最後の版だけにでも載せようと、記事を組替えたり、最悪の場合見出しだけでも間に合わせようと色々やるらしいんだが、それでみんな帰るのが遅くなったてんだね。その出し抜かれた特種ってのが夕方乗せた二人連れの記者の話していたことだったんだよ。
あんなに堂々と喋っていたら普通、特種の話しだとは思わないよ。ま、それが狙いだったのかもしれないがね。
新聞社とか放送局ってのは大体利用するタクシー会社を決めていて、特に秘密の取材なんかの場合は社名の判らないようなハイヤーを利用することが多いってのも理由はこの辺にあるんだよ。つまり、AタクシーはAA新聞が利用してるし、BタクシーはBB新聞の専属だといったことは、その関係者はみな知ってるから、秘密の取材には出来るだけタクシー会社名の分かりにくい黒塗りを利用するってぇ訳だ。そのうえ他の新聞社が利用してるタクシー会社のタクシーを利用すると、その取材先や下手をすると取材の内容まで漏らされかねないって心配があるからね。
しかし・・・。あたしが鈍だったからいいようなもんの下手すりゃぁライバルの新聞社に筒抜けになってたとこだよ。あたしに悪意がなくたって漏れる可能性はあったわけだからねぇ。
例えばメシを食いに言ったとこに同僚がいて、離れた席に経済紙の記者がいたりすれば、あたしが同僚に喋ったことを聞きながら、どんなことが起きたかを組み立てる事くらいは簡単だろうからねぇ。
「嫌な世の中になったねぇ。自動車の販売会社が倒産だってさ
「それも生半可な会社じゃぁないんだよ。
「ん? なんで潰れたかって? なんでも美術品を買い込み過ぎたらしいね。
「なんて会社かなんて覚えてないけど、○○町に社長が住んでるらしい。
「さっき記者が取材に行ったんだけど、雲隠れしてるみたいだな。
「しかし稼ぎそこなったよ。△△町の倉庫まで行ってくれてれば、売上が
上がったのになぁ」
なんてのは別に口止めされたわけじゃぁないから世間話として誰にでもしそうな話しだろ?